ご紹介、世界文化遺産「寺山炭窪跡」~鹿児島市吉野~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

※2019年7月の大雨の影響で、炭窪跡が一部倒壊してしまい、今現在は見学できません。ご注意ください。

鹿児島市吉野町にある寺山炭窪跡(読み方:てらやますみくぼあと)の紹介です。

平成27年に世界文化遺産に登録されたばかりです!

家族でちょっとした森の中のハイキングを楽しみたい方にもオススメですよ!

炭窪跡に向かう道の途中には西郷隆盛の関係する足跡もありますので、歴史が好きな方はぜひ訪れてみてほしい場所です!

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寺山炭窪跡とは?

1858年(安政5年)に当時の薩摩藩主だった島津斉彬の命令によって建築された火力の元となる炭を作成する窪です。

島津斉彬が行った近代化政策(集成館事業)では、鉄やガラスを溶かすために強力な火力を確保する必要がありました。

鹿児島市吉野では良質な木(シイノキ)が豊富に群生しており、その木を原料として火力の元となる木炭(白炭)がつくられました。

日本の明治における近代化において、寺山炭窪の価値は計り知れません!

もし寺山炭窪が無かったら、日本の近代化は達成されず、日本は西欧の植民地になっていたかもしれません・・・。

 

寺山ふれあい公園

寺山炭窪跡は鹿児島市吉野にあります。

最寄りの「寺山ふれあい公園」に車を停めます(駐車無料)。山の上だからか、空気が澄んでいます。遠くには鹿児島市街地が見えますよ。^^

寺山ふれあい公園

 

山道の始まり

標識がいたるところに立っています。炭窪跡までは一本道なので、迷うことはないのでご安心を。^^

ここが山道の入り口です。約700mあります。道路は割と整備されているので、歩きやすかったです。

寺山炭窪跡の入り口

寺山炭窪跡に向かう山道の途中に、西郷隆盛が開墾していたという開墾地跡の史跡があります。

吉野開墾社跡(南洲翁開墾地碑)鹿児島市吉野~島津斉彬から西郷隆盛へ受け継がれた想い
鹿児島市吉野にある西郷隆盛が開墾に励んだ場所のご紹介です。 世界遺産「寺山炭窪跡」のすぐ近くにあります。 西郷隆盛はどのような思いで、ここの土地を開墾していたのでしょうか?

 

寺山炭窪跡に到着!

ついに世界遺産「寺山炭窪跡」に到着しました。山奥にひっそりとたたずんでいます。思っていたよりこじんまりとしています。

寺山炭窪跡

残念ながら柵の中に入ることはできません。中に入ってみたかったので残念です・・・。

当時は寺山炭窪は3つあったようですが、現在はこの1つのみが残っているようです。

寺山炭窪の窯口です。ここから大量の木が炎にくべられていたんですね。

寺山炭窪跡

この窯で生み出された窯は、集成館(現在の仙巌園周辺)で大砲をはじめとする近代化のエネルギー源となりました。

炭窪を後ろから撮影。正面の道は歩いてきた山道です。

寺山炭窪跡

寺山炭窪跡から車で鹿児島市内に帰る途中に撮影した桜島の絶景です。こんな高い場所に寺山炭窪があったんですね。

稼働していたときは、天井として粘土製の土壁がドーム状に覆っていたようです。

桜島

私は寺山炭窪まで車でやってきたから楽でしたが、当時の人たちは徒歩で麓の集成館まで炭を運んでいたんですよね。

その労働者の苦労は計り知れません!

 

寺山炭窪跡へのアクセス

バスで行くには交通が不便なので車でいくのがオススメです。

車で吉「野ふれあい公園」に停めて、そこから700mの山道をてくてく歩いていきます。

山の中をあるくのは気持ちよかったです!

地図

世界文化遺産

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