後蘭孫八城跡~亜熱帯情緒漂う沖永良部島のパワースポット!~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

沖永良部島のパワースポットとして有名な後蘭孫八城跡のご紹介です!南の島らしい南国情緒あふれる場所ですよ!

 

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後蘭孫八城跡への道のり

半崎で絶景を楽しんだ後、パワースポットとして有名な後蘭孫八城跡に行くことにしました。

国道620号線を進んでいると、左手に看板を発見。

後蘭孫八の名前の読み方ですが、道路の標識を見ると「ゴランマグハチ」が正しいようです。

後蘭孫八とは

後蘭孫八は今から約600年以上前に沖永良部島に住んでいたとされる豪族です。

当時の沖永良部島は、琉球北山王国の・世の主加那志(ヨノヌシガナシ)が統治していました。後蘭孫八はその四天王の一人でした。

後蘭孫八は、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人の子孫と言われ、優れた築城家として伝説に残っています。

琉球が中山王朝に統一され、北山王朝が滅びた際に、後蘭孫八は世の主加那志と一緒に自害しました(1416年)。

 

タシキ俣(また)

国道の標識のとなりに大きな岩があります!ぬぬ、これは何だ!?

実は、この大岩も後蘭孫八ゆかりのものです。

北西部から見た後蘭孫八城跡。今ではすっかり小高い森になっていますが、太平洋戦争後まで子孫の家があり、人が住んでいたようです。

 

後蘭孫八城跡を散策!

城跡に入る入口はいくつかあるのですが、私は駐車場から入口の近い南口から入ることにしました。

後蘭孫八の城跡南口

 

こちらが城跡の南東側入口です。下の写真の奥には、後蘭孫八のお墓があったので手を合わせました。

後蘭孫八のお墓

 

入口に木の箱が設置されており、案内図が入っていました。この案内図をもって城跡を散策します。出口の箱に入れて返却します。

後蘭孫八の城跡案内図

さて、城跡を散策してみましょう!案内図を見ながら獣道を歩くと城跡を一周できます。

後蘭孫八城の獣道

けもの道なので足場が悪い場所もあります。運動しやすい靴で来たほうがよさそうです。

 

後蘭孫八のお墓から城跡に入ると、お城をグルッと囲む外石垣が現れました。

後蘭孫八城の外石垣

南の島らしくボコボコの穴の開いた石灰石を積み重ねることによってつくられています。

後蘭孫八城の石垣

 

下の写真は物見台跡です。ここで敵を見張っていたのでしょう。

後蘭孫八城の物見台跡

 

物見台からしばらく歩くと、森の視界が開けてきました。

後蘭孫八城のけもの道

 

お城の屋敷跡にやって来ました!

後蘭孫八城の石垣

 

後蘭孫八城の石垣

石垣は一部を除いてほとんど崩れ、亜熱帯植物が生い茂っています。

どの位置にどのような建造物があったのか標識で記されています。

後蘭孫八城跡

 

城跡の中心部に荘厳なガジュマルの木がありました。

神聖な雰囲気があります。いかのもパワースポットといった感じです。

 

こちらは築山(人工的に土を盛って高くした場所)です。

後蘭孫八城の築山

 

母屋(住居跡)。

後蘭孫八城の母屋跡

 

石灰石がきれいに、ていねいに積み上げられています。

後蘭孫八城の石垣

後蘭孫八城の石垣 後蘭孫八城の石垣

 

ミステリアスなガジュマルのトンネルを抜けていきます。

後蘭孫八城のガジュマル

 

大きな岩に挟まれた城門にやってきました。このような岩を利用して、侵入者を防ぐ工夫をしていたのでしょう。

後蘭孫八城の岩

 

駐車場すぐ近くの南側入口に出てきました。

後蘭孫八城の南側入口

案内図を忘れずに返却しておきましょう。

案内図どおりに歩いて約30分の散歩でした。南国の城跡を歩いてみると楽しいですよ!

 

感想

石灰石の石垣に、亜熱帯の植物が生い茂る城跡です。南国の離島ならではの独特な城跡だと思いました。

栄えていたものもいつかは滅びていく。松尾芭蕉の「夏草や つわものどもが 夢の跡」という歌が頭をよぎりました。

今回、道路が整備されていないため行けなかったのですが、案内図によると「ノガレ穴」と言って鍾乳洞を利用した秘密の逃げ道もあったようです。鍾乳洞の多い沖永良部島らしいなぁと感じました。

沖永良部島の魅力は海だけではなく山にもあるということを、しみじみ感じました。

 

後蘭孫八城跡

アクセス

沖永良部空港から車で約35分。無料駐車場あり。

住所

和泊町後蘭

地図

石灰岩の石垣が残る、平家の落人の城跡

 

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