島津家の守護神「稲荷神社」の御朱印~鹿児島五社詣り~鹿児島市稲荷町

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

稲荷神社は歴代の島津氏から崇敬されてきた鹿児島五社の一社です。

稲荷神社の由緒の他、境内や御朱印を写真で紹介。宮司さんから直接聞くことのできた情報もありましたのでご紹介します!

 

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稲荷神社を参拝

秋の晴れたすがすがしい日に参拝することができました。

稲荷神社は鹿児島市稲荷町の稲荷川のほとりに建っています。

後ろには清水城の跡だった山がそびえていました。

 

神社の改築記念碑。

最近改装されたばかりなのか、他の鹿児島五社とちがって、神社の外装がとても新しかったです。

記念碑の横には、仙巌園のものに似た石灯籠がありました。島津氏が大切にしてきた神社という感じがします。

稲荷神社のが移築記念碑

 

手水舎の龍

手水舎の龍は江戸時代後期(1813年)に作成されたものです。

長い時間を経てきたことを感じます。重厚感があって細やかな作りですよね。

稲荷神社の手水舎

 

稲荷神社の手水舎

手水舎で手と口を清めた後は、稲荷くぐり溶岩をくぐってみました!

 

稲荷くぐり溶岩

ユニークなアーチ状の溶岩が神社の入口に建てられています。

他の神社では見たことがありません!

実はこの溶岩には秘密があります!

稲荷くぐり溶岩

ここにお稲荷様がいることを宮司様から教えていただけました!

下の青い丸で囲った部分が、キツネの表情に見えます。

稲荷くぐり溶岩

また、参拝客が気づいたそうなのですが、裏側から見ると桜島に見えます!

稲荷くぐり溶岩

 

社殿の様子

溶岩のアーチをくぐった後は、いよいよ参拝です。

社殿の両側にはキツネの姿をしたお稲荷様がいらっしゃいます。

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向かって左側の白いお稲荷様。口には巻物をくわえています。

よくみると、足元に小さなかわいいお稲荷様もいらっしゃいます!

稲荷神社のお稲荷様

こちらは右側の赤いお稲荷様。丸い球をくわえています。

こちらの足元にも小さなお稲荷様がいます。

 

御朱印

家族の健康を願った後、御朱印をいただきました。

とてもきれいでていねいな字でした。

稲荷神社の御朱印

稲荷神社の御朱印

御朱印をいただいたときに、宮司様から稲荷様と島津家の関係について貴重なお話をきくことができました。

 

島津家とお稲荷様のつながり

キツネは昔からお稲荷様(稲荷神)の使いとされ、神聖な動物と考えられていました。

キツネ

 

初代・島津忠久とお稲荷様

赤ちゃん

初代・島津忠久は源頼朝と丹後局(たんごのつぼね)との間に生まれた子どもでした。

丹後局は源頼朝の側室だったため、正室の北条政子から嫌がらせを受けていました。

忠久を身ごもったとき、丹後局は鎌倉から摂津国(現在の大阪府)の住吉神社に逃れました。

出産のときには、外では静かな雨が降っていて、狐火に照らされていたと伝えられています。

ちなみに、鹿児島では静かな雨を島津雨と呼び、吉兆(良いことの前ぶれ)であると考えられています。

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第17代・島津義弘とお稲荷様

島津義弘

島津義弘(1535-1619)が朝鮮出兵のときに、2万の軍勢に囲まれて絶体絶命の危機に陥りました。

対する義弘の軍勢はわずか2千。義弘は「もはやこれまで」と切腹しようとしました。

そのとき歴史は動いた!

松明(たいまつ)をくわえた赤と白のキツネが敵陣に駆けていきました。

キツネは松明の火によって敵軍の火薬庫が引火し、爆発しました。

敵軍は大混乱に陥り、そのすきをついて義弘は、敵陣を突破することに成功しました。

 

お稲荷様の加護がなければ、初代島津忠久は生まれず、島津義弘は朝鮮半島で討ち死にしていたでしょう。

さらには、島津第28代・島津斉彬も存在せず、集成館事業も始まらなかったでしょう。

その結果、日本の近代化がが遅れ、日本は中国のように欧米の植民地になっていたかもしれません・・・。

宮司様の話を聞いて、島津氏にとってお稲荷様がいかに大切な神様かを知ることができました。

 

清水城の山城跡

稲荷神社で参拝を終えた後、すぐお隣の清水城跡にやってきました。

現在は、清水中学校のプールの裏側にあります。

清水城跡

「よし、さっそく探検してみよう!」と思い、入口までやってきたのですが、木が茂っていて、とても踏み込めそうな気がしません・・・。

 

清水城は、1368年、島津家7代元久が築城しました。

以後、14代勝久までの160年間にわたって、薩摩・大隅・日向の守護の拠点として機能していました。

清水城は平城と戦時用の山城で構成されていました。

清水城の周辺は、武家屋敷、自社、町屋が広がり、かごしまの町(上町地区)の発祥となりました。

1550年、15代貴久が内城を築いて居城としたため、清水城は廃城となりました。

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一応、清水城址を散策できる道はあるものの、ほとんど整備されていません。

行くときはくれぐれも足元にご注意してください。

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稲荷神社の宮司様の話では、今後少しずつ整備されていくようです。

整備されたら、ぜひ探検してみたいです!

大乗院跡

清水城址へ上る登山道の入口に、大乗院の史跡を見つけました。

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清水城が廃城になった後、清水城の守護所の跡に建てられたのが大乗院です。

残念ながら、大乗院は明治時代(1869年)の廃仏毀釈で破壊されてしまったため、今は残っていません。

 

稲荷神社の観光情報

アクセス

鹿児島中央駅から車で約20分。駐車場あり。清水中学校のすぐ近く。稲荷川沿いにあります。

住所

鹿児島県鹿児島市稲荷町34−15

地図

〒892-0801 鹿児島県鹿児島市稲荷町34

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