いちき串木野市の冠嶽(かんむりだけ)神社のご紹介です。
神聖な雰囲気のする素敵な神社です。
勝負事の祈願をされたい方は、ぜひ参拝してはいかがでしょうか?
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山奥に秘境を発見!
薩摩川内市で新田神社を参拝してから、お隣のいちき串木野市の冠嶽(かんむりだけ)神社を参拝することにしました。
薩摩川内市から車で1時間近く南に下ります。
冠岳(標高516m)の長く曲がりくねった道の先に神社の鳥居を発見しました!
山奥にあり、周りに人気はほとんどありません。
観光地化された神社と違って、秘境ならではの静謐(せいひつ)な空気につつまれていました。神社の様子を動画で撮影しましたので、まずは動画をご覧ください!^^
建物のすぐそばで小川が流れています。マイナスイオンがいっぱいです!
仕事で疲れていた心が小川のせせらぎの音色でいやされました。山のなかの神社ならではの素敵な雰囲気を感じましたよ。
いかめしい狛犬
拝殿(お参りをする場所)の様子です。背の高いスギの木々に囲まれていて神秘的な雰囲気がします。
ん?両サイドに建っている狛犬(魔除けの犬の像)がユニークですね。近くで見てみましょう。。。
どことなく沖縄の「シーサー」に似ています。後ろの石碑によると、中国の北京で作成されたものみたいですね。
ちなみに下の画像は新田神社(薩摩川内市)のものです。見比べてみましょう。
うーん、やっぱり同じ狛犬でも雰囲気が全然違いますね!ところで、何で山奥にまできて中国の石造なんでしょう??
中国との深い関係
冠嶽という名前の由来はなんでしょう?
中国が秦という国だった頃(紀元前3世紀)、当時の皇帝は始皇帝といいました。
その始皇帝から「不老不死の薬を探して来い!」と命令された家臣がいました。徐福(じょふく)という人です。
徐福はその幻の薬を求めてはるばる日本にやってきました。
徐福がいちき串木野市の海岸に上陸した後、この山に冠を納めて薬を求めたことから、「冠嶽」という名前がついたようです。
果たして、徐福は不老不死の薬を発見できたのでしょうか?
結局のところ、始皇帝は病死によって亡くなり、徐福は日本から中国に戻ることはなかったようです。
現在でも、徐福については日本各地に様々な伝説が残されています。(例:富士山に永住した。そもそも日本に来る前に海で遭難して亡くなった。等々)
冠岳神社の周りには中国式の庭園が広がっています。中国と冠嶽(かんむりだけ)の深いつながりを表しているんですね。
冠嶽神社の由来
6世紀の半ばに用明天皇(31代天皇)の命令によって蘇我馬子という人が建設しました。鹿児島の大名である島津氏も冠嶽神社を大切に崇めてきました。
私も嫁さんと一緒に家族安泰と嫁さんの安産を願って参拝してきました。
私も安産祈願をしてきました!(下の画像)
お祈りをするとき、拝殿の飾りがとても大きいのに気づきました。スマホと大きさを比べてみました!
拝殿にはお米や鹿児島名物のイモ天ぷら「がね」がお供えされていました。毎日ここにきて神社のお世話をしてくださる方がいらっしゃるんですね。^^
日本のそれぞれの神社は、それぞれ祭る神があります。では、冠嶽神社はどの神様をお祭りしているのでしょうか・・・?
冠嶽神社の祭っている主な神様は、櫛御毛野命(クシミケヌノミコト)です。・・・名前を声に出そうとして、舌をかんでしまいました。む、難しい。
一説によると、この地域「串木野」(くしきの)の地名は、この神様の名前にに由来しているそうです。一般的にこの神様は「スサノオ」の名前で知られています。
- クシミケヌノミコト
- クシキノ
確かに発音が似ていますね!スサノオは「勝負事」や「武運」の神様ですので、次回参拝にくるときは「宝くじが当たりますように!」と祈ろうと思いました。
御朱印情報
神主さんが常駐してはおりませんので、御朱印はいただけません。
私たちはてっきり御朱印がいただけると思ってきたのですが・・・。
ですので、あらかじめご注意くださいね。
でも、今まで体験したことの無い山の中の神社の雰囲気を感じられたので大満足です!(^-^)
冠岳神社で参拝した後は、冠岳温泉にいってきました♪
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冠岳神社の情報
アクセス
南九州道西回り自動車道の串木野ICで降りて、県道39号線を市日野方面へ車で10分。
住所
〒896-0051 鹿児島県いちき串木野市冠嶽13511
地図
山奥の秘境にある神社
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