諏訪神社と呼ばれていた「長田神社」鹿児島市歴史探訪

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

鹿児島市の長田神社のご紹介です。

以前は「諏訪神社」と呼ばれていた神社で、島津家と深い関係を持ちます。

神社や歴史に関心のある方は参拝してはいかがでしょうか?

 

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アクセス&駐車場情報

長田神社は住宅街のなかに静かにたたずんでいます。

長田神社(鹿児島市)

駐車場はありませんが、階段の前に若干の車を停めるスペースがあります。

 

手水舎

壊れかけの屋根に守られた手水鉢です。

長田神社(鹿児島市)

近くでよく見てみると、かなりの歴史がありそうな立派なものです。

長田神社(鹿児島市)

 

社殿

社殿は屋根に草が生え荒れていますが、それはそれで神社らしい趣(おもむき)を感じます。

長田神社(鹿児島市)

凜と引き締まるような美しい字です。

長田神社(鹿児島市)

長田神社(鹿児島市)長田神社(鹿児島市)

境内に立派なイチョウの木が立っていました。

長田神社(鹿児島市)

さて、長田神社はどのような神様を祭っているのでしょうか?

 

ご祭神

事代主命(コトシロヌシノミコト)

大国主命(オオクニヌシ)の子どもにあたる神様です。

最高神アマテラスは地上を支配していた大国主命(オオクニヌシ)に地上を譲るように要求しました。

大国主の子どもたち(タケミナカタなど)は地上を譲ることに反対し争いましたが、最終的にはコトシロヌシが賛成して、平和的に「国譲り」が行われました。

コトシロヌシは、「商売繁昌」「豊漁」「金運上昇」などのご利益で有名です。

建御名方神(タケミナカタノカミ)

タケミナカタは地上を支配していた大国主(オオクニヌシ)の子です。

アマテラスが雷神タケミカヅチを地上に遣わし、オオクニヌシに地上世界を明け渡すよう要求しました。

オオクニヌシは自分の子二人に答えさせました。

兄の事代主(コトシロヌシ)はすんなり明け渡しに応じましたが、弟のタケミナカタは固く反対。

タケミナカタはタケミカヅチに勝負を挑みますが、腕を握りつぶされて、あっさり負けてしまいます。

タケミナカタは、父と兄に反対せず、自分は諏訪湖から出ないことを誓い、許してもらいました。

国譲りに断固として反対したタケミナカタは軍神として有名です。

子どもが多いことから、「夫婦円満」「子孫繁栄」などのご利益があります。

 

歴史

初代・忠久が源頼朝に従って奥州征伐をするとき、諏訪神社で戦勝祈願をして勝利したことがあり、歴代の島津家は諏訪神社を深く崇敬していました。

1221年(承久三年)長田神社は、島津家の拠点があった木牟礼城(出水市)に「諏訪神社」として建てられてました。

鎌倉時代後期、島津家5代当主・貞久の時代になると、長田神社は下諏訪神社として現在の場所に移されました。

なお、現在の南方神社(鹿児島市)は上諏訪神社として現在の場所に移されたと伝わります。

長田神社は鹿児島城(鶴丸城)の後ろにある山城「城山」の守護神として信仰が厚い神社でした。

事代主(ことしろぬし)を祭っていることから、1869年(明治二年)に名前が諏訪神社から長田神社に変更されました。

 

御朱印情報

社務所はありません。 

 

長田神社の参拝情報

住所

〒892-0854 鹿児島県鹿児島市長田町24

地図

歴史ある神社

 

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