仙巌園すぐ近くの重要文化財です。明治初期に薩摩に紡績技術を伝えたイギリス人技師たちの宿泊場所として使われていました。デザインは洋風ですが、どことなく和の雰囲気も漂っています。内部では、当時のイギリス人技師たちの生活の様子が展示されていたり、幕末~明治の鹿児島の歴史を紹介する展示があります。仙巌園に来るときは、ぜひ立ち寄ってみましょう。
異人館
1863年、鹿児島湾で薩摩とイギリスの間で戦争が起こります(薩英戦争)。この戦いによって、鹿児島市街地は火の海になり、薩摩は外国の軍事力の髙さを思い知りました。当時の西欧列強はアジアを次々と植民地化していました。この西欧列強と互角に戦い、日本が植民地化されないようにするためには、軍事力だだけでなく、その他の産業も発展させて国全体を豊かにすることが重要だと考えられました。
島津斉彬の後を継いだ第29代当主、島津忠義(ただよし)は、父である久光の後見のもと、現在の異人館の近くに紡績工場の建設を決意します。イギリスとの国交の改善させると、1865年には、五代友厚をはじめとする薩摩ステューデントたちを薩摩からヨーロッパに密航させました。五代友厚は、蒸気機関と紡績機械を買い付けて、イギリス人の技師7人を薩摩に招きました。
この異人館はイギリス人技師たちの宿泊所として使用されました。薩英戦争からわずか2年後でイギリス人は周辺の住民に恨まれていたでしょうから(鹿児島市街地から少し離れているとは言え)ここで暮らすのは気まずかったでしょうね。(;´・ω・) 工場が操業したときも、トイレの出入りにまで護衛がついたそうです。
宿泊所のすぐとなりに紡績工場があったようです。
1867年に紡績工場は操業を開始します。イギリス人技師たちの指導のもと、蒸気機関と紡績機械によって高品質の織物の大量生産が可能になりました。
やがて、紡績技術はこの薩摩から日本中に広がっていきました。まさに、異人館は日本の産業革命の発祥の地なのです。
異人館から眺めた桜島の風景です。故郷を遠く離れてやってきたイギリス人たちは、どのような思いで桜島を見つめていたのでしょうか。
異人館はイギリス人によって設計され、薩摩の職人によって建てられました。昔ながらの日本の建築技術が使われているためか、建物は洋風なのに和風な感じもします。
西南戦争(1877年)では、西郷隆盛率いる薩軍の負傷兵が運び込まれ、病院としても使用されました。また、第二次世界大戦で日本が敗戦したとき、アメリカ軍の兵舎として使用されたこともあります。
イギリス技師人たちの暮らしが再現されています。
下の写真は食卓の様子です。
書斎の様子。
2階の廊下。
イギリス人技師たちが寝て過ごしていたベッド。
異人館の廊下。
異人館の情報
アクセス
カゴシマシティビューバスで鹿児島中央駅から約30分。無料駐車場あり。
営業時間
8:30-17:30(年中無休)
料金
大人200円、小中学生100円
所要時間
がっつり見るなら1時間くらい。
住所
鹿児島市吉野町9685-15
地図
〒892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9685−15