鹿児島三大行事とは「曽我どんの傘焼き」「妙園寺詣り」「赤穂義士伝輪読会」をいいます。
今日は運よく「曽我どんの傘焼き」を見物することができました!
※この記事は2016年のものです。
不思議な物体を発見
7月末の夕方、嫁さんとドライブの途中、甲突川に差し掛かったあたりで、川の上に不思議な物体を発見しました。
対岸では胡弓やフラダンスなどの催し物がある様子。
鮮やかな和傘が高く積み重ねられています。嫁さんによると「曽我どんの傘焼き」という祭りが開催されるとのこと。嫁さんも私も行ったことがありませんでした。ぜひブログで紹介したい!と思い、取材することにしました。
なんとか近くのコインパーキングに駐車することができました。
甲突川河畔にはすでにたくさんの人だかりができています。
火の粉が飛んでくると危険なので、安全な風上側から撮影することにしました。剣舞や示現流などが傘の周りで演じられていました。かなりカッコよかったですよ!下の写真は剣舞の様子です。
薬丸野太刀自顕流が演じられている様子です。その迫力には圧倒されるばかり!
下から斬り上げる様子です。あの新撰組の隊長、近藤勇も「薩摩の斬り上げには気を付けろ」というほど、一撃に思いを込めた薩摩の初太刀は脅威でした!
小さな男の子が、自分の倍もある大人に向かって果敢に立ち向かっていきます。勇敢な姿を見て、なぜか感動して涙がでてきました。
昔から薩摩の教育では「負けるな。ウソをいうな。弱いものをいじめるな」といわれてきました。どんな困難なことについても恐れず立ち向かう姿は美しいです。少年の姿を見て、自分にも勇気が湧いてきました!
傘焼きの由来
昔、曽我兄弟が父親の敵(かたき)を討った話に由来しています。敵討ちをしたのが夜で雨が降っていたため、曽我兄弟は傘に火をつけて松明代わりにしたそうです。敵討ちは成功しましたが、兄弟は二人とも命を落としてしまいました・・・。
実は、曽我兄弟の話は鹿児島ではなく伊豆(静岡県)のお話しです。
なぜ鹿児島で静岡の祭りが行われるのでしょうか?
昔から薩摩では親をに対する孝行心の大切さが教育の中心となってきました。
曽我兄弟の話は薩摩の人にとって良き模範だったのです。
この兄弟に敬意を表し、その死を悼むために、昔から和傘を集めて燃やす風習があります。
例え県外のものであっても良いものは進んで取り入れようとする薩摩の精神はすばらしいですね。
和傘に炎が!
7時半スタートとなっていましたが、着火が始まったのは8時ごろでした。甲突川の両岸や橋の上にはたくさんの観客が集まっています。
こちらは対岸の様子。
若者たちの松明に火が灯されます。
若者が「曽我兄弟の歌」を力強く歌いながら、松明を片手に和傘の塔を囲みます。
歌声が朗々と響き渡る中、観客たちが息をのんで見守ります。
200本もの和傘が8mの高さに積み上がった塔に、いよいよ火がつけられます!
塔のてっぺんから煙が一瞬立ち上ったかと思うと、一瞬、和傘の塔が内側から明るく照らされ、「ぼんぼり」のように美しく光りました。
次の瞬間、勢いよく燃え始まました!
あっという間に火に包まれる和傘たち。
観客にも炎の熱が伝わってきます。嫁さんと娘も火の勢いに我を忘れています。(笑)
激しく燃え盛る炎を、じっと見つめる観客たち。
塔が崩れ落ちた後も、次々と和傘200本が炎にくべられていきます。塔の骨組みは孟宗竹で組まれていて、ときどき「パンッ」と激しく爆発する音が聞こえます!
炎に浮かび上がる鎧姿のシルエットがカッコよかったです!
激しく火の粉が舞う中を、若者たちが和傘を炎に投入していきます。
約20分にもわたり合計400本の和傘が燃焼した後、ついに骨組みが崩れて、炎が小さくなりました!
会場アナウンスによると、洋傘が主流になっている今の時代、和傘を集めることが難しくなっているそうです。
毎年多くの人々の心を明るく照らし、元気をつけてくれる「曽我どんの傘焼き」。ぜひ、これからも続いていってほしいです!!!
傘焼きの動画
曽我どんの傘焼きの場所
アクセス
車…会場すぐ近くに南日本放送(MBC)周辺のコインパーキングがあります。
徒歩…鹿児島中央駅に車を止めて徒歩15分。
ホームページ
場所
南日本放送(MBC)前の甲突川河畔(南洲橋の下流側)で行われます。
和傘が美しく燃え上がる様子は圧巻!