鹿児島市吉野の「白山姫神社(しらやまひめじんじゃ)」のご紹介です。
ここで祭られている神様は、夫婦円満や縁結びにご利益があります。
夫婦関係や友達関係がうまくいっていない方は、ここでお参りしてみてはいかがですか?
CONTENTS
アクセス
白山姫神社は薩摩吉田ICから車で南下して約12分の場所にあります。
神社周辺の道路が狭いのでご注意ください。
境内の裏側から入ることができます。境内に無料駐車場があります。下の写真は神社裏側の入口です。
鳥居
境内の様子
清掃作業の日だったためか、境内には車がたくさん駐車していました。
境内には巨大なモミの木が立派にそびえ立っています。
社殿のとなりには「雀ヶ宮公会堂」があります。
白山姫神社はこちらの公民館で管理されているようです。
社殿の横には滑り台もあって、娘が遊ばせてもらいました。^^
手水舎(ちょうずや)
お参りの前に体を清める手水舎も、歴史を感じさせます。
力石(ちからいし)
昔から若い人が持ちあげて心身を鍛えたという力石です。一之宮神社(鹿児島市郡元)にも同じものがありました。
持ち上げようとしましたが、こちらは腰を痛めそうだったのであきらめました。💦
西南戦争関係の史跡!?
境内の石碑に「明治10年役砲台」と刻まれています。
明治10年(1877年)は、西郷隆盛率いる薩軍が新政府軍と戦った戦争です。
しかし、白山姫神社は西南戦争最後の決戦地「城山」から直線距離で6キロメートルも離れています。
どのような役割を果たす砲台だったのか気になります。
社殿
社殿は1998年(平成10年)のとき不慮の火災によって消失しましたが、ご神体は幸いにも無事で、建て直されました。
白山姫神社は、鹿児島市内でも数少ない「神明造り」という建築様式を採用しています。
御祭神
菊理姫命(キクリヒメノミコト)
伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)は夫婦の神様です。
この夫婦神はたくさんの神様を生みましたが、イザナミは火の神「カグヅチ」を出産したことで亡くなってしまいます。
愛する妻を失ったイザナギは、妻に会いたい気持ちを抑えきれず、黄泉の国(あの世)までイザナミに会いにいきます。
しかし、イザナミの姿は醜く腐り虫のうごめく死者になっていました・・・。
「見たな!?」
恥ずかしい姿を見られたイザナミは、怒ってイザナギを追いかけます!
イザナギは黄泉の国の境でついに追いつかれそうになりますが、間一髪で大岩で道をふさぎました。
イザナギはイザナミはこの大岩を挟んで言い争います。
すると、どこからともなく菊理姫命が現れ、この喧嘩を丸く収めたといいます。
夫婦喧嘩を丸く収めたことから、菊理姫命は「夫婦円満」「家族円満」「縁結びの神」として有名です。
伊邪那岐尊(イザナギノミコト)&伊邪那美尊(イザナミノミコト)
すでに書きましたが、最初の夫婦の神様です。
子宝、安産、縁結びなどに御利益があります。
蛭児神(恵美須神)(エビスカミ)
蛭児神はイザナギとイザナミの間に生まれた最初の神様です。
しかし、生まれた時から体に骨が無かったため、3歳になっても歩けず、かわいそうに思った両親は船に乗せて流しました。
船はやがて摂津国(大阪)に流れ着き、そこで蛭児神は恵美寿神になり、大坂は商業の町として大いに発展しました。
恵美寿神は鯛を持ったふくよかな姿で有名です。ご利益は商売繁盛などがあります。
歴史
白山姫神社は加賀国(現在の石川県)の白山神社から勧請されました。
最初、鹿児島のどの場所に勧請されたかは不明ですが、1740年(元文五年)、島津家第21代当主・吉貴公の命により、現在の仙厳園(磯庭園)の近くに移されました。
江戸時代末期、島津斉彬が仙厳園を改造して近代化のための工場群(集成館事業)を作るようになると、現在の場所に移されました。
社殿の周りの摂末社(せつまつしゃ)・石祠(せきし)
社殿の隣りには、高皇産霊神(タカミムスビノカミ)を祭るお社があります。
タカミムスビノカミは、天地が始まったとき最初に生まれた3柱の神様の一人です。
最初の神様ということで、願い事全般に御利益があります。
社殿の周りには、ほかにも大山祇神社、蛭児宮、涼神、馬頭観音などの石碑や石祠があります。
六月灯祭り
7月10日
御朱印情報
社務所はありません。
各種参拝情報
住所
鹿児島市吉野町1371