なぜ僧都俊寛は鬼界ヶ島(鹿児島県硫黄島)に島流しされたのか?

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※地元・鹿児島県民の筆者がこの記事を書いています。

硫黄島の俊寛堂と俊寛像の紹介です。

昔、平家打倒の陰謀を企てたとして、俊寛という僧が硫黄島に島流しされました。

結局、俊寛は硫黄島で孤独に苦しみながら生涯を終えてしまいます。

硫黄島には俊寛が過ごしていた俊寛堂と俊寛像の史跡があるので、歴史に関心のある方は、訪れてみてはいかがでしょうか?

 

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俊寛堂

1177年、京都の鹿ケ谷荘で俊寛は平家打倒を企てたとして硫黄島に島流しされました。

俊寛が暮らしていたという庵(いおり)の跡が、集落の外れに残っています。

俊覚堂

厚く苔むしてフカフカした小道を歩いていきます。雨で濡れているとかなり滑りやすいと思うので気をつけてください。

竹のトンネルを200メートルほど下っていきます。まるで少しずつ昔にタイムスリップしているような感覚になります。

運が良ければ野良クジャクに会えるかも?

こちらが俊寛堂です。茂みのなかにひっそりと建っていて、俊寛の感じていた寂しさが伝わるようです。

俊寛と一緒に流された平康頼と藤原成経は故郷に帰りたい一心で、千本の仏塔を作って海に流しましたが、俊寛はこれに参加しませんでした。

ある日、その仏塔が平家が祭る厳島神社(広島県)に流れ着き、それを知った平家のリーダー・平清盛は非常に感動したそうです。

高倉天皇に嫁いでいた娘の安産祈願のため、平清盛は彼らの罪をゆるしましたが、なぜか俊寛だけは許されなかったそうです。

 

俊寛像

硫黄島港のすぐ近くに、海に向かって手を伸ばす俊寛の像が建っています。

赦免状には俊寛の名前だけがありませんでした。

俊寛は目を疑い、ふかく悲しみ、赦免船にすがりついて嘆きましたが、結局ひとりぼっちで硫黄島に取り残されました。

俊寛は失望し、遠く故郷を離れたこの硫黄島の地で、37歳という若さで亡くなりました。

 

「島流し」という刑罰は人を残酷なまでに孤独に追い込むものですね。

私はあくまで観光という目的で硫黄島を訪れたびで「家に帰れる」という安心感がある。

しかし、俊寛は永遠に帰れないという絶望のなかで過ごさなくてはならなかった・・・。

考えるだけでも哀れな人だと感じずにはいられません。

 

海に手を伸ばす俊寛の石像から、絶望と孤独がヒシヒシと伝わってきます。

 

俊寛堂・俊寛像の観光情報

住所

鹿児島県三島村硫黄島

地図

 

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