鹿児島市与次郎という地域の歴史をご紹介します。
CONTENTS
与次郎ヶ浜の由来
鹿児島市に与次郎ヶ浜という地域があります。
ここは江戸時代の天保年間(1830~1844年)は海岸でした。
平田与次郎という百姓が、ここに10万平方メートルにも及ぶ塩田を造ったことから、いつしか「与次郎ヶ浜」と呼ばれるようになりました。
平田与次郎は薩摩藩の命令によって、赤穂(兵庫県姫路市の近く)を視察し、その体験を活かして塩田の開発に取り組みました。
1865年(昭和40年)から埋立てられ、現在は鴨池運動公園や、鹿児島市民文化ホールなどができています。