大河ドラマ西郷どん44話「士族たちの動乱」あらすじ&感想~地元鹿児島人のレポート!

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

新政府を去り、鹿児島に帰った西郷どん。

しかし、時代は西郷どんに安らぎのときを与えてはくれません。

西郷どんを慕う者たちが、次々と鹿児島に帰ってくることになり・・・?

 

前回のレポートはこちら!

 

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西郷どんを追って・・・

西郷どんが鹿児島に帰った後、半次郎たちも続々と鹿児島に帰郷しましたね。

ついに、篠原国幹、辺見十郎太など西南戦争で重要な幹部となる者たちも登場しました。

 

今の時代、組織を辞職することはものすごく勇気のいることですが、いっぺんにこれだけの人に辞職させてしまう西郷どんのカリスマ性はすさまじいものがありますね!

西郷どんは、その大らかで優しい人柄のため、人気があり、愛されています。

 

元陸軍と元警察官、合わせて600人帰ってきたとなると、明治政府としても無視できず、大久保さんは鹿児島へのスパイを増やします。

この結果、西南戦争が発生するのは、みんなの西郷どんの素晴らしい人格とカリスマ性が招いた悲劇と言わざるを得ません。

歴史とはとても皮肉なものだと、改めて痛感します!

 

イトさん、ナイスガッツ!

半次郎たちが鹿児島に帰ってきたのは、新政府に西郷どんを呼び戻すためでした。

しかし、西郷どんは頑なに断っていましたね。

西郷どんの留守中に半次郎たちが訪問してきたとき、妻の糸さんが彼らを追い払うセリフが格好よかったです!

「皆さんを見てると腹が立って仕方がなか!

いつまでも他人を頼ってないで、今度は自分で走れ!」

体格の良い男たちを前に、こういうことを言えるなんて、イトさんの勇気に感心しました!

 

大久保家でも修羅場が!

鹿児島に残った満寿(ます)と子どもたちが家に石を投げ込まれていました。

いくら不満を抱えているとはいえ、力なきものにぶつけるのは卑怯ですよね・・・。💦

 

大久保の招きで、満寿たちは東京へ引っ越しましたが・・・。

ついに満寿とおゆうさんが対面することになりました!

二人とも笑顔でしたが、こわばってましたね!

二人の笑顔の奥にある複雑な思いに、思わずハラハラしてしまった視聴者さんも多かったのではないでしょうか?

 

一方、大久保はそんな女性同士の静かなぶつかり合いをさほど気にしていない様子。💦

帰宅すると、子どもたちが我先にと大久保の靴を脱がそうとしていて、すっかり暖かな家庭のパパでした。

あまり知られていませんが、大久保は仕事では厳しかったことで有名ですが、とても子煩悩だったことでも知られています。

 

また、大久保利通は実質上政府で一番権力を持つ「内務卿」地位にありながら、プライベートではかなり質素な生活をしていたそうです。

大久保利通は西南戦争の翌年(1878年)に士族から暗殺されたとき、持っていた財産は「8千円」の借金だけだったそうです。

大きなお金がかかる政策を実行するときに、政府が十分なお金を用意できないときは、大久保利通は自分のお金を投資していたようです。

政策に私財を投じる政治家は、今の日本ではなかなかいないのではないでしょうか?

 

地元・鹿児島では西郷どんが圧倒的に人気ですが、大久保は西郷どんを死に追いやった悪役として描かれることが多いです。

大久保の没後100年を記念して、1979年(昭和54年)に大久保の銅像が鹿児島市加治屋町に建てられましたが、建設中には石を投げられたというエピソードがあります。

西郷どんと別の道を歩んでしまったとはいえ、今の日本の功労者には違いありませんから、ぜひ皆さんも大久保の良い面も知っていただいて、西郷どんと同じく良い評価を受けてほしいと願ってやみません。

 

新政府に残った者たちは?

弟・西郷従道、川路利良、村田新八はまだ新政府に残っていました。

西郷どんを追って大量の陸軍兵士・警察官が辞職してしまい、従道は軍隊、川路利良は警察官の立て直しに追われます。

鹿児島出身の者たちが次々と政府を去る中、彼らも深く迷ったに違いありません。

 

「私情を捨てて」新政府のために尽くした川路利良は「日本警察の父」として、鹿児島県庁に銅像が建てられています。^^

 

一方、村田新八は西郷どんを追って鹿児島に帰郷します。

欧米は産業の発展が日本より数段階も発達していて強い国でした。

しかし、欧米では産業発展の陰で、労働者の搾取が行われていて、貧富の格差は広がっていました。

村田新八はこのような現状を見て、欧米の国のような発展を目指している明治政府では、理想の国造りができないと判断したのかもしれません。

 

佐賀の乱が発生!

各地で明治政府に不満を抱える士族たちが不満が現れてきました。

土佐藩による岩倉具視の暗殺未遂に続き、江藤新平が佐賀の乱をおこしました。

 

大久保さん率いる明治政府軍に敗れた江藤新平が、西郷どんも立ち上がるよう説得するために自宅を訪問していましたね。

実際、江藤新平が西郷どんに会ったとき、西郷どんは鰻温泉(鹿児島県指宿市)で湯治中でした。

大河ドラマ中の西郷どんは静かに「それは私情です」と江藤新平をなだめていましたが、

実際は「何度言っても聞き入れないのなら、相談する当てが違います!」と怒鳴ったそうです。

 

結局、江藤新平は捕らえられ、裁判で十分な弁明のチャンスも与えられないまま、斬首・さらし首の刑になってしまいました。

鹿児島の士族をはじめ、日本全国の士族に対する見せしめだったのでしょう。

「江藤さんの最後のお役目です」と言う大久保さんの表情が機械のように凍り付いていて、かなり怖かったです・・・。

(瑛太さんは言葉なしで表情だけでも強烈なメッセージを伝えられる凄腕の役者さんですね!改めて感心してしまいました・・・)

 

私学校を設立するが・・・

西郷どんは士族の不満を抑えるために私学校を建てました。

私学校では、異国に留学させたり、商売や農業などの学問を教えられました。

未来の人材を育てる施設としては、主君・島津斉彬の理想を実現したかのような立派な学校でしたが・・・、

不満を持つ士族たちを集めることで、明治政府は私学校を危険視するようになり、結果として私学校設立は西南戦争への火種となってしまうのです。

 

ドラマ中、同じ郷中出身で県令(現在の県知事)の大山綱吉は喜んで資金を提供していましたね。

私学校は素晴らしい理想ですが、あまり西郷どんに肩入れすると、内務卿・大久保から怒られてしまうのではないでしょうか?

かなり心配です💦

 

あらすじ&感想特集(まとめ)

第1話から感想レポートを地元目線で書いています。

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西郷隆盛特集

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豆知識☆ちょこっと鹿児島弁講座( ..)φメモメモ

今回も、薩摩弁を5つご紹介します♪

・「いした!」⇒「あら!」(感嘆詞。風呂場で顔にお湯をかけられたときなど、驚いたときに使いましょう!)

・「かばしか」⇒「良い香りがする」

・「こらえっくいやい」⇒「勘弁してください」

・「まっげなし」⇒「間違いない」

・「マンボサンボ」⇒「あちらこちら」

いかがでしたか?読み方としては、語尾を上げるのがポイントです。

次回も大河ドラマ「西郷どん」の劇中に登場するかもしれないし、しないかもしれない薩摩弁をご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね!

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