瑞雲山・大龍寺跡~黒衣の外交官・南浦文之(なんぽ ぶんし)~鹿児島市大竜町

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

鹿児島市大竜町にある大龍寺跡のご紹介です。

 

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大龍寺跡を訪問!

大竜小学校の前に石碑と石門があるのを見つけました。

 

カゴシマシティビューまち巡りバスが目の前を通過します。

最寄りのバス停は「南洲神社前」です。

 

大龍寺の歴史

第15代島津家当主・貴久(1514年-1571 年)が跡継ぎ争いに勝利し、ここに内城を建てました。

島津貴久 https://wikimedia.org/

 

1550年から1602年までの約50年間、この場所にあった内城が島津氏の居城となっていました。

その後、第18代・家久が鹿児島城(鶴丸城)に居城を移すと、内城の跡には大龍寺が建立されました。

 

「大龍」という名前は、臨済宗を信仰し、内城を居城とした貴久・義久の号「中」・「伯」にちなんでつけられました。

最初の住職として、南浦文之(なんぽ ぶんし)が招かれました。

 

文之和尚が記した「鉄炮記」は、1543年に種子島に伝わった鉄炮の伝来を知る上で、貴重な資料になっています。

 

文之和尚は、島津義久、島津義弘、島津家久の3人に仕えました。

臨済宗の僧としてだけではなく、明や琉球との外交も担当し、「黒衣の外交官」とも呼ばれました。

なお、薩摩の伝統的剣術である「示現流」の名前を考えたのも、文之和尚であると伝えられています。

 

大龍寺跡の石碑

大龍寺跡の石碑

大龍寺跡の石碑大龍寺跡の石碑 大龍寺跡の石碑 大龍寺跡の石碑

 

大竜小学校旧校門柱

大龍寺は1869年(明治3年)まで建っていましたが、1881年(明治14年)になると大竜小学校旧校が建てられました。

大龍寺跡の石碑の横には、大竜小学校旧校の門柱4本が残っています。

大竜小学校旧校門柱

大竜小学校旧校門柱

門柱の右側に大きな松が生えています。

ここには蓑懸松(みのかけまつ)が立っていました。

内城や大龍寺に参る人たちが、雨の日にかけていた蓑を松にかけていたと伝えられています。

現在の松は、蓑懸松を偲んで新たに植えられたものです。

 

大龍寺跡の観光情報

アクセス

「カゴシマシティビューまち巡りバス」に乗り「南洲神社前」で下車し、徒歩5分。

住所

鹿児島市大竜

地図

 

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