南さつま市坊津にある鑑真記念館を訪れました。
命がけで正しい仏教を日本に伝えた鑑真について学ぶことができる場所です。
歴史に関心のある方は、ぜひお立ち寄りください!
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鑑真とは?
日本史を学習した人なら、きっと聞いたことはある名前「鑑真(がんじん)」。
時はさかのぼること奈良時代。
当時の日本は仏教の力で国を治めており、仏教がとても栄えた時期でした。
しかし、正しい仏教が栄えたというと、必ずしもそうではありません。
お坊さんの中にはちゃんとした修行を経ないで、仏教を広めてしまう人もいました。
そこで、733年の栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という二十歳ほどの若い僧侶が遣唐使船に乗り込みます。
彼らの目的は当時の中国(唐)に、日本の仏教の師となる僧を迎えにいくことでした。
9年間、唐の各地を探し回って、彼らはようやく揚州で鑑真に出会います。
「日本に仏教は伝わっていますが正しく伝える人がいません。
ぜひ日本に来ていただいて、真の仏教を指導する師となっていただけませんか?」
その話を静かに聞き入っていた鑑真は、
「わたしはこんな話をきいている。
わが天台宗の禅師は日本の聖徳太子に生まれ変わり仏教を興したという。
また、日本の長屋王は千の袈裟(けさ)を作って我が国に送ってくれた。
その袈裟には『わたしたちの住む場所は違いますが、仏の縁で結ばれています」と書かれていた。
誰かわたしの弟子の中で日本に仏教を伝えるものはいないか?」と弟子たちに話しました。
しかし、誰一人として名乗りをあげる人はいません。
日本は中国からとても遠く、渡航は命がけになります。
「それならば私が行こう」
しかし、鑑真は高僧で、中国政府の信頼も厚かったので、何度も引き留められたり、渡航禁止となったりします。
ついに密航することに成功しても、船が難破してしまいます。
さらに、日本と反対の海南島に漂流し、南方の厚さや疲労によって、両目を失明してしまいます。
この時、鑑真は63歳でした。
栄叡のほか、愛弟子たちも何人も命を落としました。
それでも、鑑真は日本に渡り正しい仏教を伝える志を捨てることはありませんでした。
ついに、6度目の渡航で鑑真は秋目港に到着できました。
753年10月19日夜のことでした。
その後、12月には大宰府(現在の福岡県)に着き、翌年2月に奈良の都に到着します。
鑑真の力によって日本の仏教は急速に整いました。
また、鑑真は彫刻や医学にも詳しく、これらの分野の発展にも大いに貢献しました。
仏教の教えを日本に伝えるため命を賭けた鑑真のおかげで、日本は大いに発展することができました。
我々日本人は心から敬意を表さなければいけないのかもしれません。
鑑真記念館に到着
笠沙から枕崎へ海岸線沿いをドライブする途中、鑑真記念館に立ち寄りました。
鑑真の石像が建っています。
中にはいってみましょう!
記念館から鑑真のやってきた秋目港を眺めました。
たくさんの人の思いに応えるために、苦難の旅を乗り越えてきた鑑真。
この秋目港に着いたときの達成感はひとしおだったでしょう。
鑑真記念館を見学
鑑真の人生をダイジェストでまとめたビデオを見ることができます。
記念館のなかは一部撮影禁止のため、撮影可能な場所だけ撮影しました。
コーヒーやお茶のサービスもあるようなので、鑑真の歴史を学んだあとは、外の景色を眺めて一服しながら、鑑真が秋目港に上陸する様子に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
もし鑑真が失明していなかったら、この秋目の美しい海や、野間岳・開聞岳の美しい姿に感動していたのではないでしょうか・・・。
鑑真記念館の観光情報
アクセス&駐車場
鹿児島市から車で1時間半。無料駐車場あり。
開館時間
09:30-16:30(毎週月曜日休館 ※祝祭日除く)
入館料
大人200円、小人100円
電話番号
0993-68-0288
住所
南さつま市坊津町秋目225−2
地図
鑑真和尚の上陸地
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