鹿児島市下福元町にある「稲荷神社」のご紹介です。
慈眼寺公園の一角に佇む静かな神社です。
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栄光の跡
ぱっと見た限りでは、神社があるとは思えない普通の森に見えますが・・・
よく見ると奥に鳥居が見えます!
更に奥にすすんでみましょう。
鳥居
すっかりツタやコケに覆われています。
手水舎
手水舎も苔に覆われています。使われずに長い年月が経っているようです。
社殿
お参り用の鐘やお賽銭箱もありません。
あまり参拝者も多くないのでしょうか。扉のガラスも穴が開いたままになっています。
できれば、この社殿がもっと大切にされてほしいと思いながら、手を合わせました。
社殿のすぐ前を川が流れています。
仁王像が社殿を守るように立っています。
鳥居から社殿まで橋で渡るタイプの神社は珍しいです。
きっと昔は立派な神社だったのでしょうね。
この稲荷神社の場所には、かつて慈眼寺というお寺がありました。
その歴史はかなり古く、今から1,400年も前(6世紀頃)までさかのぼります。
島津家の菩提寺である福昌寺の末寺として栄えましたが、1869年(明治2年)の廃仏毀釈によって慈眼寺は焼失してしまいました。
さて、この稲荷神社ではどのような神様が祭られているのでしょうか。
祭神
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)は稲荷大明神(お稲荷さん)の別名です。
日本古来の白い狐の姿の神様で、主祭神として祭る神社の数ではアマテラスよりも多い神様です。
主なご利益としては「五穀豊穣」や「商売繁盛」などがあります。
江戸時代まで薩摩を治めてきた島津家は、お稲荷さんと深い関係があります。
初代忠久が誕生したときや、第17代義弘が朝鮮戦争で敵に包囲されたときは、お稲荷さんの加護によって危機を脱しています。
このことから、お稲荷さんは島津家の守り神とされています。
猿田彦命(サルタヒコノミコト)
アマテラスは孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギ)に命令し、天界から地上界に降りて地上を統治させました。
そのときニニギを地上まで道案内した神様が猿田彦命(サルタヒコ)です。
サルタヒコは「導きの神様」として有名で、「交通安全」や「縁結び」などのご利益で有名です。
久那戸命(クナドノミコト)
イザナギが黄泉の国から逃げ帰ったとき、黄泉の国の汚れを落とすときに生まれた神様です。
「クナド」とは「来てはならない」という意味で、「魔除け」「厄除け」「道中安全」などのご利益があります。
速素盞鳴命(ハヤスサノオノミコト)
速素盞鳴命は「スサノオ」とも呼ばれ、最高神アマテラスの弟です。
最初は荒々しい性格で悪逆非道の限りをつくしていました。
アマテラスの機織(はたおり)娘を殺したことで、アマテラスは怒って洞窟(天岩戸)に隠れました。
太陽神であるアマテラスがいなくなったことで、世界が闇を覆いました。
アマテラスは他の神々の努力によって天岩戸から出たものの、天界の神々は罰としてスサノオの爪と髪を剥いで天界から追放しました。
考えるだけで痛そうな処罰ですね。(;´・ω・)
追放後、スサノオは善い神様に生まれ変わりました。
出雲国に降り立つと人々を苦しめていた怪物ヤマタノオロチを退治しました。
スサノオは勝負ごとの神様として知られ、他にも「五穀豊穣」「厄除け」「開運」「縁結び」などのご利益で有名です。
歴史
島津15代貴久が玉林城(鹿児島市和田町)を攻めたとき、貴久公の本陣前に白狐(お稲荷様の使い)が現れたので、貴久公は良い兆しとして喜び、玉林城を落とした後、この稲荷神社を建立しました。
なお、松原神社(鹿児島市松原町)は島津貴久を祭っていて、歯のご利益で有名です。
御朱印情報
社務所はありません。
稲荷神社の参拝情報
アクセス
JR慈眼寺駅から徒歩約1キロ。
住所
〒891-0144 鹿児島県鹿児島市下福元町3814
地図
島津家の守護神「お稲荷様」を祭る神社
周辺の観光スポット
谷山神社
同じく慈眼寺公園内にあります。鹿児島市街地を見渡せる絶景スポット。御朱印もいただけます。
谷山護国神社
戦没者の英霊を祭る神社です。
慈眼寺公園のネモフィラの花畑
3月下旬~4月上旬が見頃です。
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