鹿児島県指宿のおススメの温泉「鰻温泉」の紹介記事です。
鰻温泉は明治維新の功労者・西郷隆盛が西南戦争の前に湯治していた歴史があります。
温泉のある鰻地区は、山奥の鰻池のほとりにあるとても美しい場所です。
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鰻温泉へのアクセス
西郷隆盛ゆかりの温泉のうわさを聞きつけ、指宿市山川へドライブ。
冬の澄んだ晴ればれとした天気でした!とても心地よいです。気分は最高♪
鹿児島市から車で約1時間。国道226号線を交差点「鰻池入口」で曲がり北上します。
山道をしばらく進んでいくと・・・。
おおっ!?突然視界が開けて、美しい湖(鰻池)が現れます!
これはまたきれいな景色ですね・・・!
道なりに進むと、湖のほとりの小さな集落「鰻地区」に着きます。
町のあちこちで上る湯けむりと、鰻池の青い湖面、それを囲む山々・・・。なんとものどかです。
都会のせわしい日常を忘れさせてくれるようです。
実は、この場所。鰻地区は「男はつらいよ」のロケ地になったことがあります。(第34作「寅次郎真実一路」)
この地区は「鰻」(うなぎ)という苗字の住人がとても多いです。
区営鰻温泉
ここが区営鰻温泉です。
車を無料駐車場にとめて、さっそく入浴へ。
入浴料はたったの200円!西郷隆盛の愛した温泉を格安で楽しめます!
(せっけんやタオルは持参なので気を付けてください。)
脱衣場の壁には西郷隆盛の肖像画がかかっていました。
さっそくお風呂に入ります!
すると・・・だれもいない!貸切風呂だ!ラッキー!
硫黄の良い香りが部屋中に満ちています。
ご参考までに浴場の写真を撮影してきました♪
温泉のお湯はやや熱め。入浴してしばらくは、熱さで肌がジンジンしましたが、次第に慣れます。
この後は地元の方も入浴してきて、一緒にしばらく世間話を楽しみました。
西郷さんもこの熱いお湯に入っていたのかなあ、と思いがはずみます。
鰻地区で湧き出る熱湯が、はじめて温泉に利用されるようになったのは、江戸時代の宝暦年間(1751~1763年)。
この硫黄泉は、古くから皮膚病に効くと言われていました。
西郷さんは皮膚病を患っていたそうです。西郷さんがここにやってきたのは、皮膚病を治すためだったのでしょう。
天井を見上げながらぼーとしていると、とてもリラックスした気持ちになれました。
鰻地区を散策
お風呂をあがってサッパリしたついでに鰻地区を散策してみました。
すると、意外な歴史の史跡を見つけることができましたので、ご紹介しますね。
鰻池
鰻池は海抜126メートル、水深61メートル、周囲が約4キロメートルの火山湖です。鰻池の近くの池田湖、鏡池も火山湖として知られます。
そもそも、なぜウナギの名前がついたのでしょう?昔、水田を造ろうとしていたところ、湖の底から大ウナギが現れ水路をふさいでしまいました。
村人が刀で斬りつけると、大ウナギは池に逃げたそうです。大ウナギは池の主と崇められ、それ以来、鰻池と呼ばれるようになったそうです。
鰻池の周囲の直立した岩は約5,700年前に噴火した際に出来た火山の壁です。
町中にある噴気孔
鰻地区のあちこちには噴気孔がありました。
この噴気孔は地区内の民家で煮炊きに利用されています。
この蒸し器は地元の言葉で「スメ」と呼ばれています。
ちなみに、公衆浴場の受付ではスメで蒸したタマゴをいただくことができます!(5個で200円という破格!)
温泉の独特の香りがして美味しいですよ♪
地蔵堂と鰻詣り
噴気孔がいくつもあることから、鰻地区は「地獄」とも呼ばれています。
鰻地区の少し外れには、肉親を亡くした人々がお参りをする「地蔵堂」があります。
言い伝えでは、毎年1月15日・16日は「鰻詣(うなぎまいり)」と言って、地獄の窯のふたが開いて亡くなった人の霊が自由になり、過去1年間に亡くなった人に会うことができるとされています。「鰻詣」の日は直近1年に家族、親戚、友人を亡くした人が地蔵堂を訪れ、地蔵菩薩に死者の供養を願います。
私自身も小さい頃は両親と何度か地蔵堂を訪れ、お参りしていました。
地蔵板碑(指宿市指定有形文化財)
地蔵堂の境内には元徳四年(1332年)に建立された「鰻地蔵板碑」があります。
地蔵板碑には北朝年号が使用されていることから、南北朝時代(1336~1392年)は、この地域が北朝方の勢力圏だったことがうかがえます。
南北朝は、天皇家が北朝と南朝に分かれ、日本全国で激しい戦いが行われ、多くの命が失われた時代でした・・・。
仏教で仏塔を作ることは、幸福になるための三つの行いのうちの一つで、戦いの絶えなかった人々の思いが込められているのでしょう。
西郷隆盛の伝説
明治時代の初期、西郷隆盛は征韓論に敗れ、故郷・鹿児島に帰ってきました。
明治7年1月末(旧暦12月27日)夕方、従者二人と猟犬13頭を連れ、西郷隆盛が突然鰻地区を訪れました。
開聞岳付近に狩猟に出かけ夕方には帰るという、狩猟の日々を過ごしていました。
きっとイノシシやキツネを狩っていたんでしょうね。
雨で狩猟ができない日は村の子どもたちと遊んでいました。
夜は毎晩入浴してから、食事をとり(食材の仕入れ先は山川)、少し焼酎で晩酌をして11時前後には寝ていたようです。
(下の写真は西郷隆盛が逗留した場所です。区営鰻温泉のすぐ近くです。)
そんな悠々自適の日々を送っていた西郷さんのもとに、重要人物がやってきます。
旧1月20日午後7時ごろ、佐賀の乱に敗れた江藤新平が西郷を訪れました。
江藤新平(1834-1874年)は、西郷さんと同じく征韓論に敗れ、故郷の佐賀に戻っていました。明治政府に対して佐賀の乱を起こしましたが敗れたため、佐賀を脱出して鹿児島に逃れて来たのです。
二人は1時間ほど話した後、江藤新平は隣家に一泊しました。
翌朝8時ごろ、江藤新平は再び西郷さんを訪ねました。江藤新平は最初懇願するようでしたが、ついに大声になりました。
西郷さんは腕をまくり上げ、「何度言っても聞き入れないのなら、相談する当てが違います」としかりつけるように言いました。
江藤新平は頭を下げると、宿に帰りどこかに行ってしまいました。
おそらく江藤新平は西郷隆盛に鹿児島で決起するよう頼んだのですが、西郷隆盛に断られたのだと思います。この後、江藤新平は高知を訪れて武装蜂起を説きますが同様に断られます。最後は明治政府に捕まり処刑されてしまいました。
旧1月28日午前10時ごろ、西郷は従者を連れて出発します。
垂水に行く予定だが、あとで誰かに聞かれても「知らない」と答えなさいと言いました。
出発のとき「猟犬を1頭あげよう」と言いましたが、主人が「ありがたいですが、犬はおそろしいです」と答えると、「それならこれを」と自分が来ていたシャツを渡しました。
(このシャツが今でも鰻地区で保存されています。)
西郷が鰻温泉を去って2年後の明治10年(1877年)、西南の役が勃発します。
もし江藤に呼応して西郷が決起していたら・・・明治政府は佐賀と鹿児島の二か所の反乱に同時に対処しなければならなくなり、歴史が異なっていたのかもしれませんね。
鰻温泉の観光情報
アクセス
鹿児島市から約1時間半。
浴場の営業時間
08:00-20:00 (定休日:毎月第1月曜日)
鰻地区の宿泊
地図
西郷隆盛の愛した歴史ある秘湯!
他の西郷さんお気に入りの湯
こちらの温泉も西郷さんが湯治していたという記録が残っています。(同じく皮膚病に効果あり)
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JR最南端の駅です。SMAPが来たことでも有名です!
ここの温泉からは、東シナ海の大パノラマが楽しめます!
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