先日、鶴丸城の前を車で通りすぎるとき、鶴丸城を撮影しました。
この工事の足場が作られている場所には、もともと城門(御楼門)がありました。
今、鶴丸城では城門(御楼門)の復旧工事が行われています。
鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601年)に、島津家第18第当主・家久(初代藩主)が建設した城です。
このお城のシンボルだった御楼門は、明治6年(1873年)のときの火事で焼失してしまいました・・・。
最近になって、地元の企業や個人からの寄付金によって、復旧工事が行われることになりました。
御楼門が復旧すれば、きっと鹿児島の新しいシンボルとなってくれると信じています。
今後、鹿児島の観光がさらに活性化するでしょうね。
御楼門は2020年3月に完成予定です。
完成が待ち遠しい!
個人的には、いったいどんな城門が建つのか、今からとても楽しみです!
復旧工事中に、江戸時代の出土品も見つかっているようです。
今後、何が発見されてるのでしょう?ワクワクします。
この御楼門について、鹿児島県の県政誌を読んでいるとき、胸が熱くなる話を見つけました。
鶴丸城のすぐ隣には、薩摩義士碑という史跡があります。
薩摩義士碑は、江戸時代の薩摩藩による宝暦治水工事で命を落とした薩摩藩士たちを記念する史跡です。
宝暦治水工事が行われたのは、今の岐阜県の辺りです。
御楼門の復旧にあたり、鹿児島県と岐阜県の絆をさらに深めるため、岐阜県産のケヤキが提供されることになったそうです!
ケヤキは御楼門の大扉に使用される予定です。
岐阜県の方々の感謝の思いが、時代を超えて、御楼門の建設という形で伝わった・・・!
改めて、鹿児島の先人たちに心から感謝を感じました!
(参考文献:県政かわら版 No.142)