長崎県南島原市にある原城跡のご紹介です。
江戸時代初期に発生したキリシタン一揆の舞台になった場所です。
歴史に関心のあるかたは、ぜひ足を運んでみてください!
CONTENTS
原城に行こうと思ったきっかけ
夫が小さい頃に漫画「動乱原城史」をハマって読んでいたそうです。
江戸時代に発生した島原の乱の舞台になったのが原城です。
今回長崎旅行の予定を1日延ばして雲仙・島原を観光することにしたので、主人の子供の頃に夢中になっていた漫画の舞台となった場所へ行くことにしました。(このような旅ができるのがキャンピングカー旅ならではですよね☆)
アクセス&駐車場情報
島原港フェリーターミナルから車で国道を南下し、約40分の場所にあります。
原城の北側(大手門側)に無料駐車場(8台分)があります。
ここに車を停めて三の丸への坂道を登っていきます。
本丸へは歩いて10分ほどです。
原城の読み方
原城は(はらじょう)と読みます。
私が大手門入口の看板を見て「げんじょう?」と読んだところ、夫が「はらじょう」と修正しました。お恥ずかしいです。💦
原城の歴史
江戸時代になると幕府によるキリシタンの弾圧が強くなりました。
特に島原や天草地域にはキリシタンの農民が暮らしていましたが、地元の大名の圧政に耐えかねて団結し、天草四郎(あまくさしろう)という青年を中心に団結して反乱を起こしたのが「島原の乱」です。
最終的には約3万7千人の一揆勢が原城に立て籠りますが、最終的には数で勝る幕府軍に鎮圧されてしまいます。
原城三の丸
駐車場から坂道を登ったあたりです。
玉ねぎ畑の田園風景が広がります。
ここに3万7千人が集結して戦っていたことが想像できないくらい、のどかな風景です。
北には煙を上げる雲仙が見えます。
原城二ノ丸
原城は東側は海(有明湾)に面しています。
農民たちは3か月間も原城に立て籠って戦い続けました。
幕府軍は最初は圧倒されたものの、兵糧責めを開始すると、農民たちの食料や弾薬は徐々に無くなっていきました。
最終局面が近くなると、海に降りて海藻を採っていたようです。
また、幕府の依頼で当時交易のあったポルトガル船やオランダ船も海から砲撃したようです。
同じ宗教を信じる者同士が殺し合ったのはとても悲しいことですね・・・。
原城本丸(一部陥没のため見学不可)
本丸への坂を登っていきます。二ノ丸まではアスファルトのきれいな道路が舗装されていますが、ここの道はゴツゴツしています。
原城本丸には十字架と天草四郎の銅像が建っています。
本丸からの見晴らしはとても良いですが、島原の乱のときは、17万人もの軍勢に囲まれていたそうですから、絶望的な景色が広がっていたかもしれません。
それにもかかわらず、命を落としてまで叶えたかった一揆勢の信念は何だったのでしょうか。
原城にはいたるところにQRコードがあり、専用のアプリで当時の原城の様子を、まるでタイムスリップしたかのように見ることができます。
築城されて間もない頃と、島原の乱の頃と2パターン楽しめますよ♪
原城は有名な心霊スポット?
原城は落城するときに、一揆勢はほとんど全て殺害され、場内に埋められたと伝わります。
近年でも人骨やロザリオなどの遺品が発掘されたそうです。そのため、ネット上でも心霊スポットとして有名なようです。
しかし、普段は霊感強めな私ですが、ほとんど何も負の思念を感じませんでした。そこで起きたことは確かに悲劇だったですが、流れる風は心地よく、とてもきれいな景色が広がっています。
自分たちの信じる宗教のために殉教したから負の思念はあまり残らないのでしょうか。また、たくさんの人たちに弔われ、歴史を語る場所として大切にされてきたからなのでしょうか。それにしても、このような人と人が殺し合う戦争、しかも同じ日本人同士の命の奪い合いが今後も二度と起こらないことを、願わずにはいられません。
島原の乱 オススメの漫画
島原の乱について描かれた漫画です。勃発の原因や時代背景について理解しやすいです。ストーリーもなかなか面白いですよ。
原城の観光情報
入場料
無料
住所
〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町乙437
地図
島原の乱でキリシタン一揆勢が立てこもった場所