仙巌園(せんがんえん)は鹿児島の代表的な観光地スポットです。
鹿児島の地元人の視点から、見どころを厳選してきました。
ぜひご参考にしてください!
CONTENTS
仙巌園とは?
1658年に島津家19代光久が建てた別邸です。
桜島と錦江湾を庭に取り入れた雄大な庭園は、季節ごとに鮮やかに変化するので、地元人である私ですら何回訪れても飽きません!
名前の由来ですが、中国の竜虎山山麓にある仙巌という場所をモデルに建設されたことから、仙巌園と呼ぶようになったそうです。地元の地名「磯(いそ)」にちなんで、「磯庭園」という名前でも親しまれています。
景観的に美しい場所として魅力ある仙巌園ですが、その真の価値は歴史的な重要性にあります。
幕末の薩摩藩主・島津斉彬(第28第)は、日本の近代化が重要であることにいち早く気づき、のどかな別荘だった仙巌園を工場地帯に変え、大砲や戦艦の製造に必要な反射炉を建築します。(集成館事業)
当時の集成館事業では、この仙巌園で1200人もの人々が働いていました。
この集成館事業がさきがけとなり、幕末からわずか50年で日本は近代化することができました。
仙巌園とその周辺のエリアは世界文化遺産に指定されています。
仙巌園に到着!
さっそく仙巌園に入ってみましょう!
「カゴシマシティビューまち巡りバス」は、この入口のすぐ前のバス停に停まります。
入園料ですが、大人1,000円、子ども500円です。
鉄製150ポンド砲
仙巌園の入り口をくぐるといきなり出迎えてくれるのが、この巨大な大砲!
のどかな別荘のはずなのに、「ここは本当に大名の別荘だったのか!?」とビックリしてしまいます!
これは鹿児島沿岸に実際に配備され、薩英戦争(1863年)で活躍した大砲のレプリカ(複製)です。
新波止砲台などの鹿児島湾の砲台に設置され、イギリス艦隊に対して、この大砲が火を噴きました!
約68キロの鉄球を約3キロも飛ばすことができたようです!
世界文化遺産「反射炉跡」
反射炉とは何でしょうか?
反射炉とは木炭を燃やし、熱を壁と天井に反射させることによって温度を上げ、鉄を溶かす施設のことです。
薩摩藩は、オランダから取り寄せた専門書を頼りに、自分達の技術のみで反射炉を造りました!
反射炉を幕末からわずか50年で完成させたことにより、日本は薩摩を先駆けとして近代化しました。
この反射炉跡は、歴史的に重要な価値を持つ遺跡として、世界遺産に認められています!
反射炉跡は大砲の裏手にあります。現在は土台だけが残っています。
この土台の上に、下の写真のような反射炉が建造されていたと考えられています。
高さは約20メートルもあったようです!(写真のレプリカは実際の大きさの4分の1)
下の写真が、反射炉の跡です。
近くに寄ってみると結構大きいです。大きさを感じていただくために、私と娘が石垣のそばに立ってみました。
(ご参考まで、私は身長168センチ、娘は71センチです)
この反射炉の基盤に使用されている岩は「たんたど石」と呼ばれています。
正式には「溶結凝灰岩」という名前で、花崗岩などの岩と比べて加工しやすいという特徴があります。
なお、仙巌園の石灯籠や薩英戦争(1863年)で活躍した新波止砲台に使用されている岩も「たんたど石」です。
土台の石垣を見てみると、職人たちが無数のノミで打った後が残っています。
土台を作るだけでも、大変な苦労があったに違いありません。当時の職人たちの根性に、ただただ感服するばかりです・・・!
反射炉を上からのぞいてみましょう。
最初の反射炉(1号機)は右の石碑あたりに建っていたようですが失敗に終わったそうです。現在の遺構は2号機のものです。
ここに立っていた反射炉が、日本の近代化の「心臓」として活動していたかと思うと、ワクワクします!
しかし、反射炉が完成してすぐ、1858年に島津斉彬は病死してしまいます。
集成館事業に取り組んだ200人の職人は5人まで減らされ、集成館事業はいったん途絶えてしまいました。
ところが、島津斉彬の病死から5年後に薩英戦争(1863年)が発生します。
薩摩はイギリス艦隊との戦いを通して、欧米諸国の力を思い知ります。
そして、再び集成館事業は復活することになるのです。
山神・水神
反射炉の横に小さな神社が建っています。
この神社は、反射炉が建設されるより前、江戸中期に山神と水神を祀るために作られたものです。
写真左側の手水舎(てみずや)には、漢字がびっしり刻まれています。ここには「嘉永元年(1848年)、仙巌園の御殿前の海(約2万平方メートル)を埋め立てたときに、この山神・水神を修復した」と記されています。
反射炉を後にして、仙巌園を進むと、大きな桜島大根が置かれていました!
これが桜島大根!大きさはギネス世界一です。(ギネス記録は31.1キロ)
実際に持って大きさと重さを体験できます。
鹿児島市には桜島の火山灰がよく降るので、鹿児島市民には特別なゴミ袋が配られています。
名付けて「克灰袋」!灰を克服しようという鹿児島県民の強い意志を感じます。
両棒餅でお茶しましょう!
反射炉跡を見学した後、ちかくの土産屋さんで休憩しました。
人がたくさん並んでいる両棒餅(ぢゃんぼ餅)のお店を発見!
さっそく食べてみることにしました!
サムライの腰の日本の刀をイメージした、二本の串が両棒餅の特徴です!
左がみそ味、右がしょうゆ味です。
示現流の体験レッスン
示現流は薩摩の伝統的な剣術です。頭上から大きく振りかぶり左右から振り下ろします。また、特徴的なのが大きな声で相手を威圧するところですね。
レストラン「桜華亭」でご飯を待っているときに、ちょうど体験レッスンをしていました。
小さな子どもも体験できるのがうれしいですね。^^
Youtubeで示現流を紹介している動画を見つけたのでご紹介します。大きな声をあげていて、少し怖いです!
この体験レッスン、となりを大勢の観光客が歩いていくので、少し恥ずかしいかもしれませんが、ぜひ体験してみると良い思い出になるのではないでしょうか。
絶景レストラン桜華亭
島津氏の御殿
錫門
島津家第19第当主・光久が仙巌園を建てて以来、この御殿は島津氏の別荘として活用されていました。
明治4年(1871年)の廃藩置県以後、島津氏はそれまで暮らしていた鶴丸城(鹿児島城)から、この御殿に引っ越しました。
下の写真は御殿の正面にある錫門です。昔から薩摩藩では質のいい錫(すず)が採掘されていました。この門の白い瓦(かわら)は、薩摩藩の豊かさの象徴でもある錫板で作られました。
今でこそ私たちはこの門を平気で通過していますが、当時は島津家の当主とその跡継ぎしか通ることがゆるされなかったそうです。
錫門はかつては正門として建築されましたが、第27代当主・斉興(なりおき)のときに庭園が拡大した結果、中門になりました。
御殿
錫門をくぐると見えてくるのが御殿です。
この御殿内をガイドさんについていきながら見学することができます。
中に入ろうとすると係員さんから呼び止められました。
この内部を見るには、別料金(大人300円)がかかるとのこと。
せっかく仙巌園にきたので見ないのはもったいないと思い、島津氏についての理解を深めるためにも参加することにしました。
(2018年2月更新情報)
以前はツアーに参加しなければ御殿内を見学できませんでしたが、現在は見学料(大人300円)を支払うことでガイドツアーに参加しなくても、御殿内を見学できます。
島津家当主のスペースから中庭を眺めたり、公文書を作成する秘書役が使用していた「祐筆の間」、学芸員さんでも用途不明な「謎の部屋」にも入れるようになりました。
なんと、島津家当主が政務を行っていた部屋でも、机の前に座って写真を撮影できます。そう!まさに島津家当主の気分を味わうことができるのです!
古い写真やサイン色紙の接写以外なら、自由に撮影できます。
御殿ガイドツアー参加レポート
下の写真は、ガイドツアーが始まる前に御殿から桜島を眺めた様子です。
仙巌園のすごいところは、雄大な桜島を借景(そのまま庭園の一部として取り入れること)しているところです。
この御殿から桜島を見ると、その美しさが分かります。借景で有名な鹿児島の庭園は、知覧武家屋敷群も有名です。
桜島の眺めがきれいです。島津の歴代の藩主は、この素晴らしい眺めを楽しんでいたのですね・・・。うらやましい限りです。
いよいよガイドツアーが始まりました。
カメラを構えて「よっしゃ、写真をいっぱい撮るぞ!」と張り切っていたのですが、ガイドさんによると内部の撮影は禁止とのこと(一部を除く)。
読者さんに内部の様子を紹介できないのが残念です。
第29大当主・島津忠義(ただよし)が使用していた部屋や、第30代当主・忠重が幼少期に暮らしていた部屋などを見ることができます。
他にも、昭和天皇・皇后が仙巌園をご訪問したときに過ごした部屋もありました。
実際に内部を歩いてみて、御殿の広さに驚きましたが、現在の御殿の広さは最盛期の3分の1の大きさしか無いというから驚きです(当時は75部屋もあったそうです)。
歴代島津氏の優雅な暮らしが伺えます。
ツアーの最後にはお茶菓子とお抹茶をいただけます。
下の動画は、御殿近くから見た桜島です。とてもきれいですよ!
石灯籠(ガス灯)
仙巌園ではあちこちで、下の写真のような石灯籠があります。
まるで、鶴が羽を広げたような形をしていますね!
これは、集成館事業で発明されたガス灯です。日本で最初のガス灯と言われています。
ガス灯発祥の地といえば横浜が有名ですが、横浜でガス灯が灯る15年も前に発明されたと思うと、すごいですよね!
ちなみに、NHK大河ドラマ「西郷どん」第1話「薩摩のやっせんぼ」では、幼少期の西郷どんが仲間たちとお菓子目当てに、仙巌園に忍び込む場面に登場しました。
千尋巌(せんじんがん)
石灯籠のある庭から山のほうを見上げると、大きな岩があり、そこに巨大な字が刻まれています。
写真の写りが悪くて申し訳ありません。(;´・ω・)
「千尋巌」という3文字の漢字が刻まれています。遠くから見ると大きさが分かりにくいですが、全長は上下で11メートルもあります。
この岩は島津斉彬の父である島津斉興が、3,900人もの作業員を使用し、3か月の時間をかけて作りました。
この岩を作る背景としては、薩摩藩士たちの雇用確保の目的があったようです。
白い文字は貝殻を粉にしたものを塗って描かれたそうです。これは、中国の庭の手法で、当時の薩摩藩が中国文化の強い影響を受けていたことが伺えます。
五葉松(ごようまつ)
仙巌園のシンボルとなっている松です。
御殿のすぐ前に立っています。鹿児島県内でも、屋久島と種子島のみに自生する珍しい松です。
五葉松のすぐ近くのこの建物では、島津斉彬と勝海舟が対談を行ったと伝えられています。
この建物も大河ドラマ「西郷どん」の第1話「薩摩のやっせんぼう」で使用されました!
集仙台~島津氏の展望所~
島津氏代25代重豪が造ったと言われる桜島の展望所です。約40分ほど登山道を上った場所にあります。
ここから眺める桜島は最高です。歴代の島津の殿様たちは、ここから薩摩をどう治めるか思索にふけっていたのかもしれませんね。
猫神
神社としては珍しい、猫を祭っている神社です。
島津義弘(17代当主)は文禄・慶長の役(1592-1598)で朝鮮に出兵するときに、猫7匹を連れて行きました。なんで戦争に猫ちゃんを連れていったのでしょうか??
昔は当然ながら時計なんてありません。島津義弘は猫の目(瞳孔)が時間によって変化するのを時計として利用したと言われます。
薩摩切子のお土産
ここでは、薩摩切子、薩摩焼、薩摩錫器など鹿児島の工芸品が紹介・販売されています。
お店の前でドーンと飾ってある見事な薩摩切子。
美しい薩摩切子が展示されていました。心が現れるような美しさです。
どれも目から値段が飛び出るような値段です。
中国語や韓国語で説明文もあるので、外国の方がよく買われるんでしょうね。
仙巌園のとなりにある「磯工芸館」では、実際に薩摩切子が作製されている様子を見学できます。
仙巌園の詳細&アクセス
アクセス
カゴシマシティビューまち巡りバスが便利です!「城山・磯コース」「ウォーターフロントコース」のいずれも仙巌園に寄ります。
レンタル自転車「かごりん」はエリア外なのでご注意してください。
営業時間
08:30-17:30
入園料
大人1,000円、小中学生500円
地図
歴史・庭園
明治日本の産業革命遺産
仙巌園の反射炉と一緒に、世界文化遺産として登録されている史跡を紹介します!
寺山炭窪跡
集成館(仙巌園)の反射炉と原料となる石炭の製造がおこなわれた場所。
関吉の疎水溝
集成館の原動力となった水路の遺構。
異人館
集成館の事業を支えるために来日した外国人技師たちの宿舎!
近くのカフェスポット
スターバックス仙巌園店
近くの観光スポット
鶴嶺神社
仙巌園入口のすぐ近くにある神社です。島津家歴代の当主と家族が祭られています。(入場無料)