南さつま市の「竹屋神社」のご紹介です。
ここの神社は、なんと焼酎の神様を祭っています!
焼酎で晩酌を楽しむ方は、日頃の感謝をこめて参拝してはいかがでしょうか?
CONTENTS
アクセス&駐車場情報
鹿児島市から車で約1時間かかります。
社殿の西側に車を停めるスペースがあります。
鳥居
鳥居は新しいですが、神社の石碑が味があります。
いままでたくさんの神社を参拝してきましたが、この石碑が個人的には一番素敵だと感じました。
社殿
焼酎の「のぼり」がたくさん掲げてあります。
さすが焼酎の神様を祭る神社です!
竹屋神社の歴史
日本神話では、アマテラスの命令で甥のニニギノミコト(初代天皇の曽祖父)が霧島の地に降り立ち、日本の統治を始めたとされます。
ニニギノミコトは笠沙(南さつま市)で木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と出会い、最初の都を笠沙宮に定めたとされます。
竹屋神社の石碑によると、笠沙宮は竹屋神社の南東約6キロメートルの場所(舞敷野)にあったようですが、南西約20キロメートルの場所(坊津)にも笠沙宮跡という史跡があります。
どちらが最初の笠沙宮なのか気になるところです💦
コノハナサクヤヒメは、桜の花のように美しいお姫様だったようです。
コノハナサクヤヒメの父・大山津見神は「酒造り」の神様として有名な神様でした。
コノハナサクヤヒメがたった一晩で妊娠したことから、ニニギノミコトは自分の子か疑いました。
コノハナサクヤヒメはその疑いを晴らすため「本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と言って、燃え盛る産屋の中で3人の皇子を出産しました。
最初に火が燃え始めたときに生まれたのが、長男「海幸彦」。
次に火が盛んに燃えているときに生まれたのが、次男「ホスセリ」。
最後に火が弱り始めたった段階で生まれたのが、三男「山幸彦」です。
「どぶろく」が密閉された容器の中で蒸され、焼酎が蒸留される様子は、この出産の様子に例えられています。
焼酎は蒸留される順番によって三段階に分かれ、それぞれの焼酎が3皇子に例えられます。
ちなみに、3皇子のへその緒を切った竹刀を捨てた場所から生えてきた竹が、竹屋神社の境内にあります。
3皇子たちは、この竹屋神社の場所で成長したと伝えられています。
焼酎ととても関係の深い神社ですね!
祭神
彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)
ヒコホホデミノミコトは天孫ニニギノミコトの子で、別名「山幸彦」として知られています。
山幸彦は弓を使った狩猟が得意で、兄の海幸彦は釣りを得意としていました。
ある日二人が弓と釣り竿を交換していると、山幸彦は兄の大切な釣り針を無くし、兄の怒りを買います。
山幸彦は海の宮殿を訪れ、そこで豊玉姫という美しい神様に出会い、夫婦になります。
さらに、豊玉姫の父・海神をかりて兄の釣り針を探し出すことができました。
海神は山幸彦に強力な力を秘めた二つの玉を授けました。
この玉を使って、山幸彦は対立する海幸彦を屈服させ、めでたく支配者になったと伝えられます。
この話は有名な昔話「浦島太郎」のモデルにもなっています。
山幸彦は父親ニニギノミコトと同じく農耕の神様として知られ、商売繁昌・航海安全・縁結びなどのご利益で有名です。
ヒコホホデミノミコトを祭る有名な神社には、鹿児島神宮(霧島市)などがあります。
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
ヒコホホデミノミコトの妻で、初代天皇(神武天皇)の祖母にあたる神様です。
安産の他、海上安全、縁結び、育児の神様として知られています。
山幸彦(日子火々出見命)が無くしてしまった兄の釣り針を海の世界に探しにきたとき、豊玉姫命が海の宮殿前の井戸(玉の井)で水を汲んでいたところ、二人は出会い、結婚しました。
お顔が玉のようにきれいな方で、御子(ウガヤフキアエズ命)を出産するときも、産殿の屋根が葺き終わらないうちに軽々とご出産されたというエピソードがあります。
このことから安産のご利益で有名です。
豊玉姫を祭る有名な神社に、豊玉姫神社(南九州市)があります。
豊玉姫の陵は、豊玉姫神社のすぐ近くにあります。
火照命(ホデリノミコト)
ヒコホホデミノミコトの兄です。
航海安全などのご利益で有名です。
火須勢理命(ホスセリノミコト)
ヒコホホデミノミコトの兄です。
調べてみましたがよく詳細の分からない神様です。
ご利益
五穀豊穣、心願成就、商売繁盛、開運厄除、縁結び、子宝安産、航海安全、農業漁業守護、酒焼酎繁栄
御朱印情報
社務所を見つけましたが、どなたもいらっしゃいませんでした。
社務所の前では自動販売機があり、てっきりジュースの自動販売機かと思いきや、なんと竹屋神社のおみくじとお守りが買えます!
最新鋭の自動販売機に感心いたしました。
御朱印がいただけなかったのは残念ですが、気持ちを取り直して、参拝することにしました。
手水舎
こちらで心と体を清めてから参拝します。
いつも誰かが手入れされているのでしょう。とてもきれいにされていました。
手水舎の横には狛犬が。丸々としていて、どこかチャーミングです。
こちらの狛犬は玉を咥えていますね。
社殿
長い歴史を感じさせる作りです。
山幸彦(別名:ヒコホホデミノミコト)を祭る本田の脇には2つのお社があります。
こちらは山幸彦の兄・山幸彦を祭る西宮。
山幸彦は海神の娘だった豊玉姫と結婚します。
山幸彦と海幸彦が争ったとき、海神の協力を得た山幸彦は兄の海幸彦を服従させました。
海幸彦は南九州の部族「隼人(はやと)」の祖先で、山幸彦は現在も続く天皇家の祖神となったとされます。
権力争いで敗れたため、兄の海幸彦は本殿ではなく、本殿の横で祭られているのですね・・・。
こちらはホスセリを祭る東宮。
神社の石垣が、かなり長い年月を感じさせます。
社殿は木造ですが、きっとこちらも気の遠くなるような長い時を刻んでいるのでしょう。
形あるものはいつか無くなるとは言っても、いつまでもこの美しい社殿が残ってほしいです。
パワースポット!磐境(いわさか)
ここから小高い丘を10メートルほど登ると、小さな広場に出ます。
雨の日は道が滑りやすいのでご注意ください。
ここは竹屋神社の主祭神でもある山幸彦の御陵であると伝えられています。
神秘的な雰囲気に包まれていて、あまり近づくことが恐れ多い気がしたので、遠くから見るだけにしました。
山幸彦の御陵は全国各地に伝説がありますが、明治になってからは高屋山上陵(霧島市)に治定されています。
笠沙宮跡
竹屋神社の境内に、笠沙宮跡を示す大きな石碑が建っています。
日本で最初の都が、京都でも奈良でもなく、この鹿児島の地にあったと考えると、地元人としてとても誇りを感じます。
ニニギノミコトがコノハナサクヤと結婚するとき、義父の大山津見神はイワナガヒメも差し出しました。
しかし、ニニギノミコトはイワナガヒメを送り返したため、大山津見神は「イワナガヒメを嫁がせたのはニニギノミコトの命が岩のように長くなるからであった。ニニギノミコトの命ははなかく短くなるだろう」と言いました。
永遠の命を捨て、あくまで一人の女性を愛することに徹したニニギノミコト。
遠く故郷の天高原を離れ、大好きな妻と子どもたちと一緒に過ごしたこの地は、ニニギノミコトにとって束の間だったにしても幸せな場所だったのでしょう。
なお、石碑の前は地域のいこいの広場になっています。
ニニギノミコトは晩年になると、この地から約40キロ北の川内(せんだい)に移り、そこで亡くなったとされています。
新田神社(薩摩川内市)の裏手に、ニニギノミコトが眠る「可愛山上陵(えのみささぎ)」があります。
竹屋神社の参拝情報
住所
鹿児島県南さつま市加世田宮原2360
地図
焼酎の神を祭る神社