日本警察の父・川路利良の銅像~鹿児島県警察本部前にて~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

鹿児島県警察本部前に川路利良(かわじ としよし)の銅像があります。

県警本部の前にあるこの銅像、いったいどのような人物なのでしょうか?

 

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川路利良の銅像

川路利良の銅像

川路利良の銅像  川路利良の銅像

 

川路利良とは

川路利良(かわじ としよし)は鹿児島市皆与志町出身で、明治初期、日本の近代警察の創設に生涯を捧げました。

川路利良(出典wikipedia)

 

30歳のときに参加した「禁門の変」(1864年)では、長州藩の大将・来島又兵衛を狙撃するという戦果をあげます。

その後も数々の戦功をあげ、西郷隆盛大久保利通から大きな評価を受けました。

2度にわたってフランスなど欧州諸国を歴訪し、警察制度を研究しました。

警視庁の創設にともない、初代大警視(現在の警視総監)になりました。

 

西郷隆盛が征韓論で敗れ鹿児島に帰ると、多くの鹿児島の仲間が後を追う中、自らは警察に留まることを決意します。

内務卿となった大久保利通の厚い信頼を受け、鹿児島にスパイを派遣し鹿児島の動向を探らせていましたが、スパイは捕らえられ、西南戦争の発端となりました。

西南戦争では警視隊を率いて、西郷隆盛たちと戦いました。

そのため、最近まで「西郷隆盛を暗殺しようとした人」「鹿児島を裏切った人」として、大久保利通と同じく、地元の評価はあまり高くありませんでした。

 

川路利良の銅像の足元に刻まれている「聾無きに聞き、形無きに見る」の精神は、現代の警察官に受け継がれています。

これは「世のため、人々の声をよく耳にし、真実を見出し、活動する」という意味だと思われます。

川路利良と彼に従った幾千もの郷土の若者たちによって、日本警察の基礎が築かれました。

なお、川路利良の後、同じ鹿児島出身の大山巌が大警視となりました。

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川路利良の銅像の観光情報

アクセス

鹿児島中央駅から約15分バスに乗り「県庁前」で下車。

住所

鹿児島市鴨池新町

地図

日本警察の父

 

周辺のランチスポット

ざぼんラーメン

地元・鹿児島では代表的なラーメンの1つです!

 

周辺の観光スポット

島津斉彬公御陣屋跡

島津斉彬が近代的な日本の軍隊の育成に励んだ場所。

調所広郷の銅像

調所広郷は、島津家の跡継ぎ争(お由良騒動)では、島津斉彬ではなく異母弟・久光を次期藩主に推しました。

 

周辺の宿泊ホテル

自治会館

会議室も備えた天然温泉ホテルです。

 

中村晋也美術館

川路利良像のほか、天璋院篤姫像や大久保利通像を作成した中村晋也氏の作品が紹介されています。

 

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