西郷隆盛の武屋敷跡(鹿児島市武)~束の間の安息の日々~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

鹿児島市武(旧:武村)の西郷武屋敷のご紹介です。

西郷隆盛が征韓論に敗れて鹿児島に帰郷してから、西南戦争が始まるまでの4年間を暮らした場所です。

歴史に関心がある方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?

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武屋敷跡

西郷隆盛の足跡を訪ねて、鹿児島市武の屋敷跡にやってきました。JR鹿児島中央駅からわずか徒歩10分ほどの場所にあります。

今では閑静な住宅街にたたずむ、小さな公園になっています。

すぐとなりを九州新幹線が通っています。

西郷屋敷跡

 

冬の澄み渡った心地よい日でした。

こちらが屋敷跡の入り口です。

西郷屋敷跡

 

武屋敷は西南戦争(1877年)で焼けた後、西郷隆盛の弟・従道(じゅうどう)が再建しましたが、今では建物は無く、井戸が残っているのみです。

西郷屋敷跡の石碑

 

西郷隆盛と武屋敷

1873年(明治6年)10月23日、征韓論に敗れた西郷隆盛は明治政府に辞表を提出して政治の世界に別れを告げ、故郷の鹿児島に帰りました。

西郷隆盛は鹿児島に帰ってから官職につくことはありませんでした。

 

自分のことを「武村の吉」と名乗り、この武屋敷に住みながら、自ら、肥料の入った桶を担ぎ、鍬(くわ)をとり、農業を始めました。

明治維新の功労者たちはぜいたくな暮らしをしていましたが、このように西郷隆盛は少しもおごる生活をしませんでした。

ただ、質素な屋敷に立つ巨大な松の木だけが自慢だったようです。

ときには面会人をさけるために、野屋敷に移って泊まり込み、農作業に励んでいました。

 

時には、西郷さんは猟犬13匹を連れて、吹上温泉(日置市吹上町)、日当山温泉(霧島市国分)、鰻温泉(指宿市山川)などに湯治に出掛けたようです。

これらの温泉はどれも庶民が楽しむような温泉です。そんな飾らない素朴な性格が、今も続いている西郷隆盛の人気の秘密なんでしょうね。

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徳の交わりの像

武屋敷跡に入ると、すぐ出迎えてくれるのがこの銅像です。

西郷武公園の徳の交わりの像

片方は鹿児島の誇る西郷隆盛。

武屋敷跡の西郷銅像

西郷さんと向かって座っているのは、菅(すげ)実秀の銅像。

この銅像は、西郷隆盛と菅実秀が、この武屋敷で親睦を深めたということを記念して建てられたものです。

 

とある日、ある来客が武屋敷の西郷隆盛を訪ねにきました。

彼は菅実秀、庄内藩(山形県)の家老です。

 

庄内藩は戊辰戦争で西郷隆盛の率いる新政府軍に同盟諸藩が次々に降伏するなか、最後まで激しく抵抗しました。

また、薩摩藩焼き討ち事件(1867年12月)では庄内藩が中心となり薩摩藩の藩邸を攻撃しました。

こういったことから、管実秀は庄内藩が厳しい処分を受けることを覚悟していました。

 

しかし、新政府軍が庄内藩に下した処分は、西郷隆盛の暖かい取り計らいにより、処分はとても寛大なものなりました。

実際に下された命令は、城の明け渡し、武器弾薬の没収、国境の兵撤退だけでした。

 

菅実秀は西郷隆盛の人柄に感動して、その教えを乞うために、明治八年(1875年)に鹿児島の武屋敷を訪問し、西郷隆盛と対談します。

西南戦争(1877年)で西郷隆盛が亡くなると、管実秀は「翁(西郷隆盛)の成徳そして大業を世に知らしめん」と言い、1890年(明治23年)に西郷隆盛の言葉や行動をまとめた「南洲翁遺訓」を刊行しました。

この本は、西郷隆盛の人徳ある人柄を知るために重要な書籍として、今でも伝わっています。

 

南洲翁使用の井戸

武屋敷で唯一現存しているのが、西郷隆盛が使っていた井戸です。

西郷隆盛が朝夕の洗面や行水のほか、庭先の盆栽、花園への散水、畑の給水など、すべてこの井戸が使われていました。

西郷隆盛が自分で作っていた野菜も、この井戸で西郷隆盛自身が洗っていたそうですよ!

南洲翁使用の井戸

南洲翁使用の井戸

水道がまだない時代。

井戸がどのくらいの深さだったかはわかりませんが、毎晩必要な水を井戸からくみ上げていた西郷さんは、相当な力持ちだったのではないかと想像してしまいます・・・。

 

ここにも西郷さんの肖像画!?

公園を歩いて休憩しようと腰を下ろしたら、天井に西郷さんの肖像画がありました。

西郷さんの肖像画は本当の姿ではないことは知られていますが、ここにはどんな肖像画があるのでしょう?

武屋敷跡の西郷隆盛の肖像画

 

こちらはどっしりとした西郷さん。

なんとなく座禅で有名なダルマ大師に似ている気もします。

武屋敷跡の西郷隆盛の肖像画

 

こちらは猟銃を片手に、猟犬と一緒にハンティングをする西郷さん。

服が少し窮屈そうな感じがしますね。

武屋敷跡の西郷隆盛の肖像画

 

つかの間の安息の暮らし

西郷さんは武屋敷でのんびりと心静かな暮らしを望んでいましたが、時代は安息の日々を与えてはくれませんでした・・・。

西郷さんは若者に人望が厚かったため次第に担ぎ出されるようになり、吉野開墾社や私学校を設立します。

世界遺産「寺山炭窪跡」周辺では、西郷さんが若者たちと田畑を開墾した後が残っています。)

そして、帰郷から4年後、西郷さんをしたう私学校の若者たちが暴動をおこし、西南戦争がはじまるのです。

 

武屋敷跡の観光情報

アクセス

鹿児島中央駅から徒歩で約10分。

営業時間

通年

住所

鹿児島市武2

地図

鹿児島に下野した西郷隆盛が住んでいた家

 

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