五代友厚(ごだいともあつ)の勇ましい銅像!鹿児島市泉町

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

鹿児島の歴史を語る上で欠かせないのが、五代友厚です。

彼は、西郷隆盛や大久保利通とともに「薩摩の三才」と呼ばれています。

五代友厚の銅像は天文館のすぐ近くにあります。

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五代友厚ってどんな人?

五代友厚は幕末の薩摩藩士です。

大阪の商工業の発展に力を尽くしたことから、「大阪の恩人」の名で知られています。

五代友厚の銅像

太く凛々しいマユが「鹿児島」って感じで印象的ですよね。

五代友厚の銅像

鹿児島市街のオフィス街にあるせいか、すごく有能なビジネスマンに見えます!

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あなた無しでは、日本は世界第2位の経済大国にはなれなかった・・・。

五代さま、本当にありがとう!

五代友厚はどんな人生を過ごした?

五代友厚の誕生

1835年(天保六年)五代友厚は鹿児島市長田町で生まれました。同じ年には、天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)小松帯刀(こまつたてわき)、坂本龍馬、土方歳三など幕末の有名人が生まれています。

最初から友厚という名前ではなくて、徳助(とくすけ)という幼名でした。昔の人は名前が複数あって大変ですね。汗

五代友厚の少年時代

友厚(徳助)の父親・五代直左衛門秀尭(なおざえもんひでたか)は薩摩藩の記録奉行で、藩主・島津斉彬の近くに仕えていました。14歳の時に世界地図を模写するよう命じられ、それを参考に自作の地球儀を作ったと伝えられています。

小さい頃からグローバルな視野を養うことができていたんですね。

長崎海軍伝習所で勉強

23歳(1857年)の時、薩摩藩から長崎海軍伝習所に派遣されました。薩摩藩からは五代友厚を含めて16人が派遣されました。

この海軍伝習所で五代友厚は航海術・砲術・測量・数学などを様々な学問を学んだとされます。同時に勝海舟・榎本武揚・寺島宗則などとも親交を深める機会にめぐまれました。

生麦事件・薩英戦争

五代友厚が29歳のとき(1863年)、イギリス艦隊七隻が,薩摩藩に前年に起こった「生麦事件」の責任者と賠償金を要求するため、横浜から鹿児島へ向かいました。

このとき、五代友厚はイギリスの大佐との直接談判を行い戦争を回避するため、長崎でイギリス艦隊を待っていましたが、イギリス艦隊は長崎に寄らずに鹿児島に直接向かいました。

五代友厚は急いで鹿児島に戻り開戦に備えました。寺島宗則と一緒に薩摩藩の蒸気船3隻を船長として率いていましたが、薩摩藩の時間稼ぎしびれを切らしたイギリス艦隊は五代友厚たち乗船した薩摩藩の蒸気船3隻を拿捕(だほ)され、捕虜になりました。

捕らえられた五代友厚と寺島宗則は尋問されますが、薩摩藩の艦長として待遇され、開戦後は自由に甲板に出て戦況を見ることを許されるなど、厚遇されたようです。
提督からイギリス兵士を上陸させる予定であることを告げられると、陸戦になれば10万人の薩摩藩士が決死の覚悟で戦うため負けることはないと答えたそうです。

イギリス艦隊はこの五代友厚たちの意見を聞き入れ、五代友厚と寺島宗則を捕虜としたまま横浜に退却しました。五体友厚たちの活躍により陸戦は避けたのは大きな成果だったのではないでしょうか。

薩摩藩の富国強兵

五代友厚は薩摩藩を欧米に負けない強い国にするため、上海貿易で資金を捻出し、薩摩藩士16名をヨーロッパに留学させて産業革命の技術を習得し、軍艦・大砲・小銃・紡績機械を買い付けることを薩摩藩に申し出ました。

翌年の慶応元年(1865年)、五代友厚を含めた薩摩藩使節と留学生計19人が羽島港(いちき串木野市)を出発しイギリスへ向かいました。この時のメンバーがJR鹿児島中央駅前に「若き薩摩の群像」として立っています。

羽島港には薩摩藩英国留学生記念館の記念館があり、五代友厚らの軌跡を学ぶことができますよ!

この留学時にイギリスの当時世界最大の紡績機械メーカーに工場の設計と技術者の派遣を依頼し、慶応三年(1867年)に、集成館(現在の磯庭園)の隣りに日本初の洋式機械紡績工場である「鹿児島紡績所」が建設されました。この鹿児島紡績所は現在も残っていて、現在は「旧鹿児島紡績所技師館」と呼ばれています。2015年7月5日に「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の構成資産として世界文化遺産に登録されているので、ぜひ訪れてみてください!

薩摩藩はわずか1年で洋式紡績の技術を習得し、その知識と技術は富岡製糸場などの全国の紡績工場へ広まり、五代友厚たちの力によって日本は大きく近代化を成し遂げることができたのです。

大阪の復興、大坂の父になる。

33歳(1868年)、事務官として大阪に赴任します。初代大阪税関長。33歳という若さで税関長なんて、すごすぎないか?

34歳(1869年)、公務員をやめて実業家としての道を歩きはじめます。

大阪商工会議所では初代の会頭(リーダー)になり、大阪港の開発、造幣局や鉄道を引く事業、大阪市立大学、大阪商船、大阪鉄道などの設立にかかわりました。まさに、「大阪を作った男」な訳ですね!

五代友厚のドラマ

朝ドラ「あさが来た」ではディーン・フジオカさんが演じています。下の動画ではディーン・フジオカさんの演じる五代友厚が登場しています。うむ、イケメンだ・・・!

五代友厚の銅像

鹿児島市泉町で静かにたたずんでいます。あなたは、銅像がディーン・フジオカさんに似てると思いますか?

彼の銅像ですが、鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」の中にもあります。

五代友厚の銅像の観光情報

アクセス

鹿児島市電「市役所前」か「いづろ通」で下車し、徒歩10分

電車通りから、朝日通り(リッチモンドホテルの交差点)を桜島の方向へ曲がってすぐです。

地図

大阪の父の銅像

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Statue of Godai Tomoatsu (played by Dean Fujioka in Drama “Sunshiny Asa”)

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

Mr. Godai Tomoatsu is the important historical person in Kagoshima, Japan. Godai is one of three intelegent people of Satsuma Domain (old name of Kagoshima Prefecture) together with Saigo Takamori and Okubo Toshimichi. Godai’s Statue stands at Tenmonkan, Kagoshima City.

(さらに…)

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