西郷どんの眠る南洲神社・南洲墓地~御朱印,カフェ,アクセスなど~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

西郷隆盛をはじめとして西南戦争で亡くなった薩軍側の志士たち2,023人の眠る南州(なんしゅう)墓地のご紹介です。

西南戦争は1877年(明治10年)に起こった日本最後の内戦です。

近代兵器と物量に勝る明治政府を相手に負けるのは必至。

命を賭けて、西郷隆盛たちは後世にどんなメッセージを伝えたかったのでしょうか。

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南洲神社の駐車場情報

カーナビによっては、境内に続く長い登り階段の前にきてしまうことがあります。

そのときは下のグーグルマップのように大きく迂回して上り坂を登り、西側から南洲神社に入るようにすると、駐車場に到着できます。

南洲神社の駐車場

鳥居の後ろに並ぶ墓石たち!

南洲神社の鳥居をくぐると無数のお墓がならんでいます!

なんと、ここには西郷隆盛を始め2,023名もの人が眠っています。

南洲神社の鳥居

南洲神社

城山決戦後

1877年9月24日。城山にこもっていた西郷どんは官軍に最後の突撃を行いました。

西南戦争が終結した朝7時半ごろ、大雨の降る中、この南洲墓地で、西郷隆盛、桐野利秋別府晋介ら薩軍の遺体が40人ほど並び、検死が行われました。

大雨が土を掘り起こし、9時ごろには西郷隆盛の首も発見されました。

政府軍の兵士たちは西郷隆盛の首に向かって礼をしたと伝えられています。

 

当時の岩村県令(鹿児島県知事)は政府軍の許可を得て、自分たちで西郷隆盛たちの遺体を、この場所で埋葬しました。

南洲墓地では西郷隆盛を中心に合計2,023人もの遺体が埋葬されています。

同じ戦争で亡くなった人たちが同じ場所で埋葬されているのは、全国的にもかなり珍しいことです。

 

なお、鹿児島での戦いで亡くなった政府軍の兵士たちは、石橋記念公園に埋葬されました。

現在では慰霊碑が建っています。

生き残った薩軍兵士

城山の戦いの最中、西郷隆盛の助命をお願いするために、2人の軍使が新政府軍の陣地に向かいました。

そのうちの1人・山野田一輔は西郷隆盛に新政府軍のメッセージを伝えるために城山の薩軍陣地に戻り、西郷隆盛と最後を共にします。

もう1人の河野主一郎は新政府軍の人質として残ったため命を失いませんでした。

河野主一郎は、薩軍の数少ない生き残りとして、西郷隆盛たちの眠る南洲墓地を一生守り続けたと伝えられます。

主祭神

この神社に祭られているのは、もちろん西郷隆盛です。

ここはもともと墓地だけの場所でしたが、西郷隆盛を慕って参拝する人が増えたたため、西南戦争から3年後の明治13年に参拝所が設けられました。

この参拝所がのちに神社に昇格したのが、今日の南洲神社です。

南洲とは

神社の名前となっている「南州」というのは、西郷隆盛の雅号(俗に言うペンネーム)です。

なお、西郷隆盛はその生涯の中で10回以上も名前を変えています! 

沖永良部島で流罪中に文筆活動で使用していたペンネームが「西郷南州」でした。

南洲墓地

南州墓地の中央に西郷隆盛のお墓がありました。

※お墓なので近くで墓石を撮影するのは控えました。

今でもその周囲を守るように、西郷隆盛の幹部たちの墓があります。

西郷隆盛の墓に向かって、左に桐野利明が、右には篠原国幹の墓があります。

その周囲には、村田新八、辺見十郎太、別府晋介、桂久武も眠っています。

 

西南戦争で西郷隆盛を支援したために処刑された鹿児島県知事・大山綱良や、遠くからは秋田から西南戦争に参加した志士の墓石もあります。

無数の墓石が西郷隆盛の人望の厚さを感じさせます。

西郷隆盛は本当に死んだのか?

西南戦争で首と胴体が別々に発見されたため、西郷生存説が生まれました。

ロシア皇太子が1891年(明治24年)に日本を訪れたとき、鹿児島に立ち寄りました。

その時、わざわざ鹿児島に寄ったのは、ロシアに逃れた西郷隆盛が来るからだというウワサが広がりました。

このようなウワサが生まれた背景には、「西郷隆盛に生きていてほしい」と願う人々の西郷隆盛に対する深い愛があったのでしょう。

 

歴史上の人物で、西郷隆盛ほど愛された人はいないでしょう。

今でも(私を含め)鹿児島の人たちの多くは、西郷隆盛のことを「西郷さん」と親しみを込めて呼びます。

社務所

拝殿の横にある授与所では、お守りや南洲神社オリジナルの御朱印帳が販売されています。

鹿児島南洲神社

南洲神社の御朱印帳

西郷どんファンとしては買わずにはいられず、さっそく購入しました。

御朱印帳

御朱印

南洲神社の御朱印

力強い立派な御朱印ですね!

全体的に丸みを帯びた字体が、西郷隆盛の人柄のおおらかさを感じさせます。

カフェ「境内茶屋なんしゅう」

南洲神社の拝殿の前にカフェがあります。

休憩に立寄ってみてはいかがでしょうか?

境内茶屋なんしゅう

参拝を済ませた参拝客が次々に店内に入ってきて、とても賑わっていましたよ!

若いお客さんも多く、大河ドラマ『西郷どん』の影響の大きさが伺えます。

境内茶屋なんしゅう

西郷どんと愛犬つんのキュートなおみくじを引けます!

お茶を頂きながら、おみくじを引くお客さんがいっぱい☆大人気のようですよ♪(#^.^#)

境内茶屋なんしゅう

大人気の「せごラテ」は、カフェオレ400円、抹茶ラテ450円です。

しおせんソフトは、カップの底に「塩せんべい」が入っている珍しいアイスです。ぜひ味を試してみては!?(350円)

境内茶屋なんしゅう

私は西郷どんが描かれたカフェラテを注文しました!

境内茶屋なんしゅう

他にも、桜島、敬天愛人(西郷隆盛の座右の銘)、つん(西郷隆盛の愛犬)、つんの肉球からラテアートを選べます。

境内茶屋なんしゅう

どらやき(200円)にも西郷どんの顔が!可愛い(*’ω’*)

境内茶屋なんしゅう

西郷隆盛にちなんだ、かわいいグッズも販売されています。

ちょっとしたお土産にもいいですね!^^

境内茶屋なんしゅう

南洲公園

南洲神社のすぐ隣に公園があります。

ここから眺める桜島は、まさに絶景!

南洲神社の桜島

夕暮れに照らされた桜島が格好良かったです!

ちなみに下の写真は、西南戦争当時(1877年)の鹿児島市街地の様子です。

西南戦争の桜島

城山で最後の決戦に臨むとき、西郷隆盛もこの景色を、そして日本の未来を見つめていたのかもしれません・・・。

南洲公園と桜島

私が南洲神社を訪れたとき、この公園はたくさんの散歩をする人や、青春まっただ中の中学生たちでにぎわっていました。

今ではとっても平和でのんびりした場所になってます。^^

ちょうど十月だったので秋真っ盛り。公園のイチョウの木がとても美しかったです!

南洲神社のイチョウ

南洲公園から望む桜島(動画)

美しい景色を撮影できたので、ぜひご覧ください!!!

この動画は南州神社の前にある南州公園で撮影したものです。この公園はご近所の人たちの散歩コースとして愛されています。

公園では、中学生の男の子達が青春を語らっていました。心がスッキリ晴れやかになるステキな場所です。

六月灯祭り

毎年7月17日・18日に行われます。

南洲神社の参拝情報

アクセス

車で行く場合は途中の道が狭いのでご注意を!桜島を眺める絶景スポットにあります。

境内には茶屋がありますが、軽食はありません。神社周辺には食事処がありますが、徒歩での移動は大変です。営業日が限られているところが多いのでご注意を!

南洲神社下にコンビニがありますよ♪

  • 車…JR鹿児島中央駅から車で17分。(無料駐車場あり)
  • バス…カゴシマシティビューを「西郷南洲公園入口」で降りて徒歩6分。

入場料

無料

電話番号

099-247-6076

住所

鹿児島市上竜尾町2−1

ホームページ

南洲神社のホームページ

地図

周辺のランチ・カフェスポット

かんまちカフェHaruya

桜島の見える開放感のある素敵なカフェですよ♪

地元でもリピーターの多い人気店です。ランチやカフェにいかがでしょうか。

周辺の観光スポット

西郷南洲顕彰館

西郷隆盛ファンなら、ぜひ行っていただきたい観光スポットです!

西郷隆盛の遺品などが展示されています。

今和泉島津家本邸跡

天璋院篤姫が暮らしていた屋敷の跡です。今もの頃石垣が当時の面影を感じさせます。

鹿児島の六月灯祭り開催日程

毎年夏になると、鹿児島県内の各神社で独特のお祭り「六月灯」が開催されます!

Introduction of “Nanshu Shrine” – Saigo Takamori & Soldiers of Satsuma Ribellion (1877) –

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

I went to Nanshu Shrine commemorates Saigo Takamori (1828-1877) and his supporters who died in Satsuma Ribellion (1877). The rebellion is the last domestic war in Japanese history. Why does the park is called “Nanshu”. Actually, it is Mr.Saigo’s pen name. I think that Mr.Saigo was sure they will never win against the new Meiji governments with cutting-edge modern weapons. I really wonder why he dared to sacrifice his life and what did he wanted to tell future generations…

(さらに…)

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