南洲神社・西郷南洲記念館(沖永良部島和泊町)~敬天愛人の思想が生まれた場所~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

西郷隆盛は文久2年(1862年)、島津久光の怒りに触れて重罪人となり、沖永良部島に流罪になりました。

西郷隆盛は1年6ヶ月の間、沖永良部の牢で囚人として生活していましたが、島の人に支えられ交流を深める間に「敬天愛人」の精神を完成させたといわれています。

 

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西郷隆盛の島流し

西郷隆盛は人生のうち2回にわたって島流しされています。

それぞれどのような経緯で島流しされることになったのでしょうか?

 

1回目の島流し

西郷隆盛は、尊王攘夷派の僧侶・月照上人を徳川幕府から匿おうと京都から薩摩藩に連れ出しました。

ところが、薩摩藩は月照上人を匿うことを拒否したため、二人は錦江湾に飛び込んで自殺を図ります。

 

月照上人は亡くなりますが、西郷隆盛は薩摩藩士によって救助されました。

鹿児島市吉野町には、西郷隆盛が蘇生した場所の史跡があります。

 

薩摩藩は幕府から西郷隆盛の存在を隠すため、西郷隆盛を死亡したことにして、奄美大島へ送りました。

西郷隆盛は奄美大島で約3年間過ごし、その間に妻・愛加那との間に、2人の子どもをもうけました。

 

2回目の島流し

文久2年(1862年)、仲間たちの努力のおかげで、西郷隆盛は奄美大島から薩摩藩に帰ることができました。

 

そのときの薩摩藩では島津斉彬の弟の島津久光が権力を握っていました。

島津久光は徳川幕府に改革を迫るため、京都まで兵隊を率いて朝廷から幕政改革の勅命を受ける計画を立てます。

 

しかし、西郷隆盛はこの計画について、島津久光が朝廷で官職が無いことを指摘したり、「久光公は地ゴロ(田舎者)」だと発言したりして島津久光の反感を買ってしまいます。

さらに、状況計画が実行されたときも島津久光の意志と反した行動をとり、島津久光はカンカンに怒らせてしまいました。

 

島津久光はついに西郷隆盛を捕らえ、島流ししました。

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南洲神社

1864年8月14日、西郷隆盛は沖永良部島の北部にある伊延港に上陸しました。

今回、私が沖永良部島にフェリーで来たとき、当初は和泊港に着く予定だったのですが、天候のため伊延港に変更されました。

偶然にも西郷隆盛と一緒の場所に上陸できたのが嬉しかったです。^^

 

私が谷山モーターズで自転車をレンタルし、一番最初にやってきた場所が「南洲神社」です。和泊の中心部にあります。

鹿児島市内にも同じ名前の神社があります。

沖永良部島和泊町の南洲神社も、西郷隆盛を祭っています。(明治35年建立)

 

下の写真が社殿です。

南洲神社

南洲神社

 

沖永良部島の西郷銅像は、鹿児島市の城山の麓にある銅像や、鹿児島空港近くの西郷公園の銅像とくらべて、やや小柄で丸々としています。

沖永良部島の西郷隆盛銅像

 

小柄ですがどっしりした体格。

沖永良部島の西郷隆盛銅像

 

西郷隆盛の足元には愛犬ツンの姿もありました。

沖永良部島の西郷隆盛銅像

 

 

南洲神社のすぐ横を流れる川の様子です。

沖永良部島は主にサンゴでできているので雨が降っても水を吸収してしまい、川がほとんどありません。

  

 

南洲神社と、橋をはさんで反対側に、西郷南洲記念館があります。

西郷南洲記念館の入口西郷南洲記念館の入口

 

西郷南洲記念館

南洲神社でお参りしたあと、西郷南洲記念館にやってきました。

庭では可愛らしいエラブユリが咲いていました。

西郷南洲記念館

 

西郷南洲記念館に入館したかったのですが、今回は時間がないので仕方なくパスしました。

西郷南洲記念館

 

西郷南洲記念館の前に西郷隆盛が入っていた牢の複製があります。

 

西郷隆盛は野ざらしの小さな牢で過ごしていました。

牢の中を覗き込んでみると、西郷隆盛が座禅を組み、瞑想していました。

この牢の中にいる西郷隆盛の銅像は、どの銅像と比べてもすっかりやせこけています。

となりの南洲神社の銅像と比べると、ガリガリにやせこけていることが良く分かります。

まるで別人のようです・・・。

 

沖永良部島の夏はとても暑く、台風も(ほぼ出来たての強い状態で)やってきます。

常に守衛に監視されている状態で牢屋に監禁され、西郷隆盛は健康を害してしまいました。

 

しかし、役人の土持政照は西郷隆盛を気の毒に思い何とかして助け出そうと決意します!

土持のおかげで、西郷隆盛は室内の牢屋に移され、体調を回復させることができました。

 

沖永良部島で西郷隆盛は「罪人」という身分でしたが、島民に与えた影響は大きかったようです。

やがて、持ち前の人望で島民の信頼を集めてゆきます。

島の若者たちに勉強を教えたり、農作物が凶作だった場合にそなえ穀物の備蓄を行うシステム(土倉法)を伝えました。

 

囚人としての生活はかなり苦しいものだったでしょうが、沖永良部島で過ごした時間は、西郷隆盛にとって自分自身の生き方を見つめなおす貴重な時間でもありました。

西郷隆盛の「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)という精神は、沖永良部島で完成したと言われています。

これは「天が私も他人も平等に愛するように、自分を愛する気持ちで他人を愛する」という意味です。

この敬天愛人の考えは、西郷隆盛が学んできた儒教とキリスト教の思想が合体して生まれたものでした。

 

西郷南洲記念館の観光情報

アクセス

和泊港から徒歩約15分。無料駐車場あり。

開館時間

09:00-17:00

入館料

高校生以上200円、小人100円

住所

和泊町和泊587-3

地図

沖永良部島に流罪となった西郷隆盛について学べる

 

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