国旗「日の丸」の起案者~薩摩藩の島津斉彬公の銅像~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

日本の夜明けを導いた人物である島津斉彬公の銅像は、照国神社の横にたたずんでいます。

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島津斉彬像

国内外でさまざまな物議を醸している国旗「日の丸」。

これを考案したのは我らが偉大な薩摩藩主「島津斉彬」公です。

彼を祭る鹿児島の照国神社の境内の横に銅像が立っています。

 

日本の国旗「日の丸」はいつできたの?

日本が日の丸を国旗と定めたのは1870年1月27日です。日の丸が誕生したのは明治時代でした。

個人的には、もっと昔から日の丸は存在しているようなイメージがしたのでおどろきです!

これを幕府に始めて提案したのが島津斉彬(薩摩藩第28代藩主)です。

実は、この人こそが国旗「日の丸」の発案者なのです。

 

日本船のマークだった!

日の丸

昔から世界各国の船は旗を掲げて国籍を示しています。

江戸時代末期(1853年)、鎖国が終わって間もない日本船に旗を付けようと思い立ったのが島津斉彬です。

当時の幕府はこれを必要と認めて、日本船のマークとして日の丸を使うように全国に命令しています。

もし島津斉彬公がいなかったら日本の国旗はどうなっていたのか・・・まったく見当がつきませんね!

 

時代に名を遺した名君

島津家は「島津に暗君なし」と言われるほど優秀なリーダーを生み出してきた大名家でした。

中でも島津斉彬公はアメリカが開国を迫る世の中を憂い、いち早く開国の必要を感じ西洋文化の吸収に熱心でした。

島津斉彬公像

そのため、当時は幕府を始め彼を危険視する人が多かったようです。人から変わり者だと思われても日本の為に尽くした偉大な大名です。

島津斉彬公の「為すべき」と感じたことは周りがどう言おうがやり遂げるという姿勢が素晴らしいです。

 

地図

第28代薩摩藩当主

 

島津斉彬公の遺した世界遺産

島津斉彬は島津家の別荘地「仙巌園」で反射炉を始めとする工場群「集成館」を興しました。

鹿児島市吉野の山の中にある燃料(木炭)を製造した施設です。

水力を確保するために、高水準の土木技術で作られた用水路です。

 

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