大河ドラマ西郷どん第11話「斉彬暗殺」あらすじ&感想~地元鹿児島人のレポート!

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

江戸編の3回目がスタートしました!

今回は「えっ、斉彬が死んじゃうの?」と、思わずドキッとしてしまうタイトルですが、島津斉彬公はどうなってしまうのでしょう・・・?

 

前回のレポートはこちら!

 

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正助、文政7年の文献を探す

一方、薩摩に残った正助(大久保利通)は記録所で、島津久光からイギリス人と戦った記録を探す指示を受けていましたね。

ペリーが黒船で横浜に来航したのは1854年ですが、それより27年前の1827年(文政7年)、薩摩とイギリス人の間で銃撃戦が起こっていました。

場所は鹿児島の南に広がるトカラ列島の「宝島」という場所です。

イギリスの船が牛を譲るように要求したのを断ったため、イギリス船の船員と戦いになりましたが、薩摩藩士が船長を狙撃して撃退したという事件です。

島津久光が読みたかった文献というのは、きっとこの「宝島事件」の文書ですね。

しかし、牛を断っただけで殺し合いの戦いになるとは・・・・。恐ろしいですね。(;^_^A

 

正助、島津久光との関係

大河ドラマ『西郷どん』では、島津久光は政治に関心が薄く、マザコンで、あまり頼りないキャラです。

しかし、海外の脅威について少しでも勉強しようと、記録所に自ら来たのはエラいことだと思いました。

正助は薩摩の未来を託すのはあなたしかいない!と熱く伝え、文献を渡します。

 

島津久光は「名はないな?(名前はなんだ?)」と尋ねますが、正助は「名乗るほどのものでは・・・」と答えませんでした。

史実でも大河ドラマでも西郷どんが島津斉彬の信頼を得たように、大久保利通は島津久光の絶大な信頼を得ていくことになります。

西郷どんが島津久光の怒りにふれて沖永良部島に島流しになったときも、大久保利通の必死の説得により、西郷どんは薩摩に何とか帰ってくることができました。

島津久光と大久保利通の強い信頼関係が、今後どのように築かれていくのか注目していきたいですね!

 

斉彬の体調が心配

毒を盛られていたため、今にも死んでしまいそうな島津斉彬公。

実際は、体調がすぐれない中、炎天下の中で軍隊の訓練を指揮したことが原因で、亡くなってしまいます。

鹿児島市天保山には島津斉彬が軍隊の訓練を行った場所に石碑が建っています。

息子や自らの命も顧みず、日本の民のために頑張る島津斉彬公。渡辺謙さんの熱い演技に、思わず目頭が熱くなった方も多いのでは?

 

少し脱線して甘味処を紹介☆

大河ドラマ『西郷どん』の第2話で、吉之助の上司が食べていた『両棒餅』。鹿児島では有名な和菓子です。

薄い餅を香ばしく焼き、甘い醤油のたれがタップリと付けられたお菓子で、私の大好物でもあります!

時々無性に食べたくなる鹿児島県民は多いのでは?

観光客にも人気が高く、鹿児島市内のいろんなところで頂くことができます♪

是非一度ご賞味あれ☆

 

あらすじ&感想特集(まとめ)

 

西郷隆盛特集

 

豆知識☆ちょこっと鹿児島弁講座( ..)φメモメモ

さあ!今週も薩摩弁を5つご紹介します♪

・「右にまぎる」⇒「右に曲がる」

・「服がこらぐ」⇒「服が乾く」

・「うんだもしたん!」=(耐え難い現実に直面したとき)「何ということでしょう!」

・「さしかぶい」⇒「久しぶり」

・「ぬっかころい」⇒「死ぬほど暑い」

いかがでしたか?読み方の基本としては、語尾を上げるのがポイントです。

次回も大河ドラマ「西郷どん」の劇中に登場するかもしれないし、しないかもしれない薩摩弁をご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね!

ぜひ、学校や職場で薩摩弁をご活用ください!

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