西郷隆盛銅像と向かい合うように小松帯刀銅像が立っています。
小松帯刀は幕末から明治初期に活躍した人物です。
鹿児島観光のときは西郷隆盛銅像にばかり目がいって小松帯刀銅像を見過ごしがちです。
歴史に興味のある方は、ぜひお立ち寄りください。
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小松帯刀銅像
西郷隆盛銅像を見ると次の観光地に行ってしまう方が多いと思うのですが、こちらの銅像にも立ち寄っていただきたいです。
西郷隆盛銅像と、ちょうど向かい合うように立っているのが小松帯刀(こまつたてわき、1835誕生-1870没)です。
宝山ホールの玄関前に立っています。
小松帯刀は、大政奉還を成功させた明治維新の功労者です!
このポーズですが、1867年(慶応3年)に第15代将軍徳川慶喜が、京都の二条城に諸大名を集め、政治の権力を朝廷に返還(大政奉還)すべきかどうか尋ねたとき、薩摩藩の城代家老であった小松帯刀が「大政を奉還すべき」と他の藩にさきがけて記帳したときの様子をイメージして制作されたものです。
NHK大河ドラマ「篤姫」では、瑛太さんが演じていましたね。
西郷隆盛銅像のすぐ近くです。(位置は下の動画をご参考にしてくださいね♪)
小松帯刀銅像は西郷隆盛銅像と向かい合うようにして立っていますが、実は小松帯刀が向かっているのは島津斉彬、島津久光、島津忠義の3人の銅像です。
小松帯刀のエピソード
小松帯刀は西郷隆盛より8歳も年下でしたが、西郷隆盛の上司でした。
幼いころから武芸・学問に優れ、わずか27歳で薩摩藩の家老になっています。
西郷隆盛は、小松帯刀がどのような人物か見極めるようと、わざと寝転がって対面します。
普通の人なら、部下が寝転がっていたら、怒ってしまいますよね?
ところが、小松帯刀は不機嫌な様子すら見せず、従者に枕を準備するよう言いつけました。
これに感服した西郷隆盛は、ただちに小松帯刀に謝り、忠誠を誓ったと伝えられます。
鹿児島市原良町には、小松帯刀が住んでいたという屋敷の跡が残っています。
小松帯刀は35歳という若さで亡くなっています。死因は肺結核だったと言われています。
長生きしていれば、西郷隆盛や大久保利通と共に、明治政府の重鎮になっていのは間違いないでしょう。
なお、小松帯刀の墓地は園林寺(日置市日吉町)にあります。
アーネスト・サトウは、出会った日本人の中で小松帯刀が最も魅力的な人物だと評価しています。
友情に厚く、決断力に優れていると評価しますが、口が大きいので美貌を損ねているとも言っています。
こちらは小松帯刀の写真です。
私は決して小松帯刀の口は大きいとは思えません。
眉毛も大きく意思が強そうな印象ですね。
小松帯刀銅像の場所
明治維新の功労者
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