2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」特集~西郷隆盛と重要人物たち!~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

2018年のNHK大河ドラマは「西郷どん」でした!

鹿児島出身者として地元が舞台になった大河ドラマの放送は、とても嬉しかったです。

「西郷どん」をきっかけに鹿児島を観光する方の参考となるよう、「西郷どん」関係の記事をまとめました。

大河ドラマ「西郷どん」をより深く楽しむために、ぜひご参考にしてください。

 

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ピックアップ!

錦江湾よりみちクルーズ

1863年に薩摩藩とイギリスの間で起こった薩英戦争で薩摩藩は人材不足になり、西郷隆盛が流刑先の沖永良部島から復帰するきっかけになりました。

桜島フェリーが1日1便運航する「錦江湾よりみちクルーズ」では、薩英戦争で砲台が築かれた神瀬(かんぜ)を巡ることができます。

 

西郷どん観光マップ

アイコンをクリックすると各観光スポットの記事にジャンプします。

 

1.西郷隆盛の姿

①肖像画の秘密

誰もが知っているこの肖像画。しかし、あれは本人ではない・・・!?

記事はこちら→西郷隆盛の肖像の真実

 

②西郷隆盛の銅像

西郷隆盛の銅像といえば上野公園(東京)が有名ですが、彼の故郷の鹿児島市では軍服を着ています。

西郷隆盛の銅像

記事はこちら→西郷隆盛の銅像

鹿児島空港近くの西郷公園(霧島市)では、西郷隆盛銅像は袴を着ています。実は日本一大きな人物像です。

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記事はこちら→西郷公園

 

西郷隆盛のプライベート

西郷隆盛の趣味や特技を知っていますか?

 

2.西郷隆盛の生涯を史跡で追う!

西郷隆盛の生まれた場所

鹿児島市内にある西郷隆盛・従道の誕生の家のレポート記事です。

1828年、鹿児島の英雄、西郷隆盛はここで生まれました!

西郷隆盛誕生地 birthplace of Takamori Saigo Kagoshima, Japan

記事はこちら→西郷隆盛生誕の地(鹿児島市)

 

西郷隆盛が修行した場所

鹿児島市に大久保利通たちと座禅に励んだ場所があります。

記事はこちら→座禅石公園

 

若き西郷隆盛が造った橋と作った手水鉢

3年間、橋の建設に取り組みました。その時使っていた手水鉢が残っています。

 

2つめの屋敷(激動の人生を過ごした場所)

西郷隆盛は借金の返済のために加治屋町の家を売り、鹿児島市上之園町の屋敷に引越しました。

記事はこちら⇒西郷南洲翁宅地跡

 

西郷野屋敷跡

西郷隆盛が農作業やワラジずくりを行っていた小屋があった場所です。

西郷野屋敷跡

記事はこちら⇒西郷野屋敷跡

 

西郷隆盛が蘇生した場所

1858年、月照上人と鹿児島湾に入水。西郷隆盛だけが助かりました・・・。

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記事はこちら→西郷隆盛蘇生の家(鹿児島市)

 

不遇の時代~沖永良部島へ島流し~

島津斉彬の死後、斉彬の弟・久光とは馬が合わず、罪人として島流しされてしまいます。

徳之島で2か月過ごした後、さらに南の沖永良部島に島流しされます。

記事はこちら→西郷隆盛上陸地(沖永良部島)

 

沖永良部島和泊町には、西郷隆盛の牢屋跡が残っています。

記事はこちら→西郷南洲記念館

 

西郷隆盛の暮らした屋敷

明治維新後、征韓論で敗れた西郷隆盛が暮らした屋敷跡が、鹿児島市内にあります。

西郷隆盛の武屋敷跡

記事はこちら→西郷武屋敷跡(鹿児島市)

 

西郷隆盛の開墾への情熱

鹿児島に戻った西郷隆盛は島津斉彬の遺志を受け継ぎ、開墾作業に励みました。

南洲開墾地石碑

記事はこちら⇒南洲翁開墾地碑

 

西南戦争の発生

私学校の生徒が弾薬庫を襲ったとき、西郷隆盛はこの屋敷に宿泊していました。

この知らせをきいたとき「ちょっ、しもたー!(しまった」とため息をつきました。

記事はこちら⇒西郷隆盛逗留宿所

 

西南戦争へ旅立つ

明治10年(1877年)2月15日、日本最後の内戦(西南戦争)が勃発します。

西郷隆盛が薩軍6千人を率いて通った道が、当時の姿のまま残っています。

龍門司坂

記事はこちら→龍門司坂

 

城山での最後の戦い

西南戦争で薩軍は近代化した兵器を持つ新政府軍に敗戦を重ねます。

1877年9月1日、西郷隆盛たち薩軍は鹿児島に戻ります。

最後の戦いの史跡を訪れてみました。

 

薩軍本営跡

鹿児島市城山に薩軍の本営が置かれた場所があります。

記事はこちら→薩軍本営跡

 

私学校跡

西郷隆盛の設立した私学校にも西南戦争の生々しい傷跡が残っています。

私学校

記事はこちら→私学校の銃弾跡

 

西郷洞窟

西郷隆盛が最後の5日間を過ごした洞窟が残っています。

記事はこちら→西郷洞窟(鹿児島市)

 

西郷隆盛が最後を迎えた場所

記事はこちら→西郷隆盛終焉の地

 

西郷隆盛を祭る神社

西郷隆盛は亡くなった後も多くの人に愛され続け、神になりました・・・!

記事はこちら→南洲神社(鹿児島市)

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3.西郷隆盛に関係する人たちの史跡

①大久保利通の銅像

最大の友人、そしてライバル。

記事はこちら→大久保利通の銅像

 

②小松帯刀の銅像

大政奉還(1867年)を実現した英雄。

NHK大河ドラマ「篤姫」では瑛太さんが演じていましたね♪

西郷隆盛の銅像と向い合せに立っています。

記事はこちら→小松帯刀の銅像

 

③島津斉彬の銅像

島津斉彬は下級武士だった西郷隆盛の才能を見出し、大抜擢しました。

第11代薩摩藩主(第28第島津家当主)。西郷どんでは、渡辺謙さんが演じます!

国旗である「日の丸」を考案した人でもあります。島津斉彬は照国神社で祭られています。

記事はこちら→照国神社

 

④五代友厚の銅像

大阪の父。NHK朝ドラマ「朝がきた」では、ディーン藤岡さんが演じていました。彼が死んだ回ではショックを受けた人は多いはず。

記事はこちら→五代友厚の銅像

 

⑤天璋院・篤姫の銅像

第13代徳川家定の正室(奥さん)。NHK大河ドラマでは宮崎葵さんが演じていました。徳川家存続のために力を尽くした女性です。

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記事はこちら→天璋院・篤姫の銅像

 

⑥桐野利秋の誕生地

西郷隆盛を尊敬し、最後を共にした忠臣。

 

⑦別府晋介の誕生地

最後の戦いで西郷隆盛を介錯した忠臣。

 

⑧調所広郷の銅像

薩摩藩の財政を立ち直らせ、自らの命を捧げた偉人です。

 

西郷隆盛の愛した鹿児島の温泉

吹上温泉(日置市)

西郷隆盛はこの温泉が大好きだったようで、3回も滞在しています。

鰻温泉(指宿市)

西郷隆盛が鰻温泉で滞在している途中、佐賀の乱に敗れた江藤新平が佐賀を逃れ、西郷隆盛に決起を呼びかけました!

栗野岳温泉(湧水町)

西郷隆盛が1か月滞在し、「ここは仙郷にござそうろう」と絶賛した温泉。

日当山温泉(霧島市国分)

西郷隆盛が十数回も訪れている名湯の多いエリアです。

 

西郷隆盛年表

1827(文政10年)鹿児島市加治屋町に生まれる

1844(弘化元年)郡方書役助(年貢徴収の事務補佐)として出仕

1854(安政元年)藩主島津斉彬のもとで御庭方役(庭師 兼 主君の側近)となる

1858(安政5年)月照と錦江湾に入水、西郷のみ蘇生する。奄美大島に島流しとなる。

1862(文久2年)2月 呼び戻されて上京、6月徳之島へ遠島になる、8月沖永良部島に移され入牢。

1864(元治元年)呼び戻されて薩摩藩の軍賦役となる

1865(慶応元年)大番役となる

1866(慶応2年)薩長同盟を結ぶ

1867(慶応3年)王政復古で活躍し、政府参与となる

1868(明治元年)戊辰戦争で東征大総督参謀を務め、4月江戸無血開城を果たす

1870(明治3年)鹿児島県大参事となる

1871(明治4年)参議となり、廃藩置県に尽力する

1872(明治5年)陸軍元帥兼参議となる

1873(明治6年)陸軍大将となる。11月帰郷

1874(明治7年)私学校をつくる

1877(明治10年)西南戦争に敗れ、9月24日城山で自刃(49歳)

 

番外編

山口県の名物「瓦そば」、実は西郷隆盛に関係していることを知っていましたか?

(川棚温泉の元祖瓦そば「たかせ」本店にて撮影)

明治10西南戦争で熊本城を包囲した西郷隆盛をはじめとする薩軍は、長い戦いの間に瓦を使って野草や肉を焼いて食べたというエピソードがあります。

この話をもとにして、高瀬慎一さんという方が発明したのが「瓦そば」なのです!

風味豊かな茶そばに、海苔、もみじおろし、タマゴが載せられていて、レモン汁をさっとかけて食べます。めっちゃウマいです!

 

西郷隆盛観光マップ

この記事でご紹介した西郷隆盛に関係する鹿児島の観光スポットを地図でまとめました。鹿児島観光のときに、ぜひご利用ください!

(アイコンをクリックすると、各記事にジャンプします)

 

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