西南戦争(1877年)の最後の戦いが鹿児島市の城山で起こりました。
西郷隆盛率いる薩軍が本営を置いていた場所とはどのような場所だったのでしょうか。さっそく訪ねてみました。
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城山展望台駐車場に到着
城山展望台の駐車場に車を停めて、お土産屋さんの通りをまっすぐ奥へ進みます。
城山展望台へはカゴシマシティビューまち巡りバスを利用して行くこともできます。
この階段を上っていきます。
城山ドン広場
城山展望台の駐車場から階段を上ると、「城山ドン広場」という場所に出ます。
昔、鹿児島市役所の職員が、この広場で正午キッカリに時報代わりの空砲を撃っていました。
紙で作られた砲弾を詰めて大砲を放つと、紙吹雪が舞っていたそうです。
この広場は大砲を放つ「ドン!」という音にちなんで名づけられました。
この時報代わりの空砲は、昭和12年まで使われていました。
太平洋戦争が終わると、空砲の代わりにサイレンの音が鳴っていました。
しかし、サイレンの音を聞くと、空襲の恐怖を思い出す人がたくさんいたため、「空砲を復活して欲しい」という声が多かったそうです。
今では広々とした公園になっています。
私が訪れたときは、あいにく雨が降って地面がぬかるんでいました。(泣)
ちなみに、晴れの日に来るとこのような感じです。
さらに奥に向かって歩いていくと、雑木林へと続く舗装されていない小道があります。
この上が薩軍本営跡です。
雨の日は足元滑りやすいので、ご注意ください。
この先の小さな広場が薩軍本営跡です。
薩軍本営跡
西郷隆盛率いる薩軍は1877年(明治10年)9月1日に故郷の鹿児島に帰ってきました。
鶴丸城の「後詰めの城(攻撃を受けた際に逃込む城)」であった城山の地形を利用し、この場所に立て籠ることにしました。
9月24日に西郷隆盛が自決して戦争が終結するまで、ここに薩軍の本営が置かれていました。
西郷隆盛は本営が建てられてしばらくは近くの民家で寝泊まりしていたそうです。
(最後の5日間は西郷洞窟で過ごしました。)
古い貯水槽の横に、本営跡の石碑が残っています。
近くには昭和天皇が植樹された記念碑が建っていました。昭和天皇もきっとご関心があって、ここにきたのですね!
石碑には「明治十年戦役薩軍本営跡」と書かれています。
城山を包囲する官軍は7万人、それに対して薩軍はわずか372人。
絶望的な戦況のなか、ここで、西郷隆盛たちはどのような表情で、どのような軍議をしていたのでしょうか。
梅雨の雨で石碑が濡れていて、まるで西郷隆盛たちの死を悼み、静かに泣いているような気がしました。
※城山の戦いのとき、官軍の本営地は鹿児島市役所跡に置かれていました。(記事はこちら)
薩軍本営跡の情報
アクセス
カゴシマシティビューを「城山公園展望台」にて下車。城山展望台の駐車場から歩いて約5分。
住所
鹿児島市城山町21−6
地図
西南戦争最後の戦地で西郷隆盛の本陣があった場所
近くの観光スポット
西郷洞窟
西郷隆盛が最後の5日間を過ごしたという城山の洞窟
城山公園展望台
鹿児島市と桜島の素晴らしい眺めが楽しめます!