NHK大河ドラマ「西郷どん」が始まり、もっと西郷隆盛について知りたいと思い、地元のガイドツアーに参加しました!
ガイドさんの説明はとても丁寧で、日本史では習わない隠れネタの宝庫でしたよ!!私もまだまだ故郷・鹿児島について知らなかったことがたくさんありました。
観光で鹿児島に来られた際はもちろんのこと、地元の人にも是非とも利用していただきたいツアーです!!おススメです!!
今まで書いてきた西郷隆盛の観光地の記事に、ガイドさんの説明で学んだことを大幅に加筆しました。ぜひご覧ください!
CONTENTS
鹿児島ぶらりまち歩きガイドとは?
「鹿児島まち歩きガイド」さんと一緒に、鹿児島の史跡を歩きながら歴史やエピソードを学ぶことができます。
コースの内容(全16コース)
コースは、テーマ別に全部で16コースあります!
- 西郷をしのび西南戦争の最後の激戦地、城山をめぐる。
- 木曽三川治水を成しとげた薩摩義士!
- 龍馬にも会える”天文館”食と歴史と近代建築遺産
- 鹿児島城(日本100名城)と薩摩77万石の城下町
- 城山の歴史と大樹・森林浴を体感〜城山自然遊歩道ウォーキングコース〜
- 実業家(五代友厚・川崎正蔵)や薩摩の廃仏毀釈をめぐる
- 向田邦子“故郷もどき”とザビエル記念聖堂をめぐる
- イルカとの出会いと桜島展望台
- 英国留学生と引率者五代友厚を感じよう!
- 東郷平八郎ゆかりの地と桜島&錦江湾の絶景散策
- 薩摩おごじょ篤姫ゆかりの地を歩く
- 世界文化遺産の地 「集成館」を歩く
- 西郷さんが眠る南洲墓地と藩主が眠る島津家墓所をたずねる
- 明治維新と近代日本を築いた偉人達の誕生地を訪ねる
- 火の島”桜島”大地の鼓動を体感!
- 生まれ育った加冶屋町から西南戦争の最後の地、城山をめぐる
- 大河ドラマ館周辺散策コース(1年間限定)
どれも所用時間2時間程度の面白そうなコースです!
今回は大河ドラマ「西郷どん」が放送開始したばかりということもあって、「まず西郷隆盛について学び直したい!」と思いました。
そうすると、①か⑯なので、、、迷ったあげく、「1.西郷をしのび西南戦争の最後の激戦地、城山をめぐる。」に参加することにしました!
このコースでは、タイトルのとおり西郷隆盛の最後の戦いについて学べます。
城山公園展望台に集合
13時50分、城山公園展望台の駐車場にドキドキしながら集合しました。
城山公園展望台では、カゴシマシティビューまち巡りバスを利用してくることができます。
駐車場に入ってすぐ左側にあるベンチに集合しました。
まず最初にお金(大人500円)を払います。
定員は15名ですが、今日は私も含めて3人でした。
ガイドさんはとても親切な方で、参加者もフレンドリーなご夫婦でした。とってもラッキーです!
さっそく城山公園展望台へ歩きました。晴れていたので、鹿児島市と桜島の見晴らしもよく、眺めがとっても美しかったですよ!
城山公園展望台で主に桜島についてガイドしていただきました!
詳細はブログにまとめたので、ぜひごらんください!
城山ドン広場と薩軍本営跡
城山公園展望台を見学した後は、昔正午の時報を知らせる大砲を撃っていたという「城山ドン広場」へ徒歩で移動しました。
次に、西南戦争(1877年)で西郷隆盛が城山の戦いで本営を構えた場所に案内していただきました!
この観光スポットで学んだことも、下のブログにまとめてあります。
旧道を下る
薩軍本営跡を後にし、西郷洞窟を目指して旧道を歩きながら城山を下りました。
大正天皇は病弱だったことで知られますが、城山を訪問されたときはとても元気だったそうです。
部下に「年寄りは後から来い」と言って、天皇ご自身は徒歩でこの坂を元気に登られたというエピソードがあります。
けっこう急な坂です!(*_*;
次に、ガイドさんが「あちらをご覧ください」と言って城山の北にある山を指さしました。
下の写真の中央にある鉄塔の建っている場所は、「夏陰城」(なつかげじょう)という場所で、薩軍本営跡の北側に位置する高台です。
夏陰城には「城」が建っていた歴史はないのですが、城山のすぐ隣り高台なので、軍事的には重要な場所だったため「城」と呼ばれました。
江戸時代に鶴丸城が建てられると、軍事的な拠点として夏陰城は重要になりました。
西南戦争中も、もし新政府軍が夏陰城を占拠すると、夏陰城から薩軍本営を攻撃しやすくなってしまうので、西郷隆盛は夏陰城にもっとも多くの人員を配置したそうです。
こういった日本史の授業でも習わないようなエピソードを聴けるのも、「鹿児島まち歩きガイド」の魅力です!(^^♪
西郷隆盛洞窟
西郷隆盛たちが最後の5日間を過ごしたという洞窟です。
ここでのガイドさんの解説に熱が入っていて、とっても面白かったです!
気が付くと、私たちの周りにたくさんの観光客の方がいらっしゃって、ガイドさんの話に聞き入っていました。^^
学んだことを記事にまとめましたので、ぜひぜひご覧ください!
座右の銘・敬天愛人
西郷隆盛洞窟から西郷隆盛終焉の地に向かう下り坂の中、ガイドさんが道路のとなりにあるトンネルを指さしました。
よく見ると…、JRトンネルの入口に西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」の文字が刻まれています!
西郷隆盛は人生で2回島流しをされて、奄美大島と沖永良部島で苦しい生活を強いられます。
そこで育まれたのが「天が私も他人も平等に愛するように、私も自分を愛する気持ちで他人に愛しよう」という「敬天愛人」の思想でした。
なお、トンネルの反対側の入口には、大久保利通の座右の銘「為政清明」(いせいせいめい)という文字が刻まれています。
「為政清明」とは「政治を を行うには、心も態度も清く明るくなければならない」という意味です。
大久保利通の生活は潔癖で、初代内務卿という偉い地位にありながら、プライベートではかなり質素な生活をしていたそうです。
大久保利通は西南戦争の翌年(1878年)、明治政府に不満を持つ士族から暗殺されますが、そのときに持っていた財産は「8千円」の借金だけだったそうです。
「財産」ではなく、「負債」ですね。
大きな政策をするときに、お金が足りないときは、大久保利通は自分のお金を削って、投資していたようです。
西郷隆盛と同じく、大久保利通も素晴らしい人ですね!
西郷隆盛終焉の地
西南戦争最後の日(1877年9月24日)、次々と仲間が倒れていく中、ここで命を絶ちました。
ガイドさんから西郷隆盛の死の前後のエピソードを聞いていると、胸が熱くなるのを感じました!
(「西郷隆盛終焉の地」の記事にまとめました。)
本当にガイドツアーに参加してよかったと思いました!!
私学校跡
東京から帰った西郷隆盛が未来の若者を育てるために、鶴丸城の一部を間借りして作った学校です。
石垣に西南戦争の傷が生々しく残っています!
西洋のガス灯
私学校跡から鶴丸城に歩いていきます。
道路の両側には80基ほど西洋風の街灯があります。
第28代島津家当主・斉彬は集成館事業を通じて日本の近代化を推進した名君として有名です。
仙巌園には斉彬がつくったガス灯があります。
しかし、このガス灯の作成に成功した翌年、斉彬公は病気で亡くなってしまいます。
ガイドさんによると、斉彬公はガス灯を鹿児島市内中に建てたかったのだそうです。
この80基の街灯は、斉彬公の夢を再現するために、鹿児島市が建てたそうです。
普段何気なく視界に入っていた街灯にも、斉彬公の思いが詰まっているのだとわかると、ほえーっ!と感心してしまいました。
鶴丸城(鹿児島城)
江戸時代から薩摩藩主の島津氏が居城としたお城です。
西郷隆盛と仲の良かった、天璋院篤姫の銅像もあります!
西郷隆盛銅像
「鹿児島に観光しに来たら、ココに来ない人はいない!」というくらい有名な観光スポットです!
小松帯刀銅像
時間が少しあまったので、小松帯刀銅像を案内してもらいました!
明治維新に大きな貢献をした若き秀才です!
感想
今回のガイドツアーでは、ガイドさんの持つ情報量の多さと、地元の歴史への深い愛を感じました。
私は「鹿児島観光ブログ」を運営していますが、鹿児島について、まだまだ自分の知らないことばかりだと痛感!
今後はもっとツアーに参加して勉強を重ね、鹿児島に観光にきたくなるようなブログ記事を更新していきたいと思っています(≧▽≦)
ガイドさんのおかげで、地元人でも知らなかった知識をたくさん勉強することができました!
あなたも是非「鹿児島ぶらりまち歩きガイド」に参加してみてください。
鹿児島の風を感じながら自分の足で歩き、ガイドさんの話を聞いていると、肌で歴史を感じることができます。
大河ドラマ「西郷どん」が、ますます面白くなりますよ!
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鹿児島ぶらりまち歩きガイド
参加方法
どのコースも事前予約制になっています。
私は幸運なことに当日のツアーに参加することができましたが、
ホームページから予約する場合は前々日の17時まで、電話で予約する場合は前日までに予約しないといけません。
ご注意くださいね!
コースによって異なりますが、ガイドツアーは約2時間ほどです。
出発地点・到着地点もコースにより異なります。自分の観光プランに合わせて、ツアーを選択するといいと思います♪
長時間歩きますし、コースによっては山道を歩いたりするので、歩きやすい格好で参加するのがおススメです!
参加料
参加料はたったの500円。(小中学生は100円)
かごしまシティービューを利用するコースの場合、乗車料金が別途かかります。