台場公園・薩英戦争砲台跡~唯一当時の原型を留める台場~南大隅町根占~

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

薩英戦争は1863年に鹿児島湾で起こった薩摩藩とイギリス艦隊の戦争です。

鹿児島県南大隅町根占に薩英戦争の砲台跡があります。

この砲台は数十カ所つくられた砲台の中で、唯一当時の原型を留めています。

 

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台場公園・薩英戦争砲台跡に到着

3月の穏やかな春の日。大隅半島の西海岸を約1時間ほど南にドライブしていると、「台場公園・薩英戦争砲台跡」に着きました。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

こちらが駐車場です。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

花壇に春の花がかわいく咲いていました。

農産物の無人販売所もあり、みかんなどが販売されていました。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

駐車場の片隅から錦江湾を望む絶景スポットがあります。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

対岸に薩摩半島が見えます。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

開聞岳(標高924メートル)が見えます。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

北西方向を見ると、指宿市の魚見岳と知林ヶ島が見えます。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

では、さっそく砲台跡まで歩いていきましょう。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

駐車場から砲台跡までは170メートルほど歩きます。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

地図でみると、駐車場からけっこうな距離を歩くような気もしますが、最初の階段以外は道も平たんで、海を眺めながら歩けば、砲台跡にはすぐ到着できます。

妊婦(8カ月)の私も大丈夫でした。^^

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

晴れた日は海が美しく、ドライブの休憩がてらの散策にはピッタリです。^^

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

島津斉彬公使用の手水鉢

砲台跡に向かう途中、小さな史跡らしきものを発見!

島津斉彬公使用の手水鉢

 

岩があります。もっと近くに寄ってみましょう。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

なんと、ここは第28代島津家当主・斉彬(なりあきら)公が使用したと伝えられる手水鉢です!

島津斉彬公使用の手水鉢

 

薩英戦争(1863年)の11年前。

1852年(嘉永6年)島津斉彬は、薩摩藩の各地の情勢や海岸防備を視察するため、大隅地方や日向地方を巡検しました。

11月12日に鹿児島市を出発し、垂水・鹿屋を経て、16日に小根占(現在の南大隅町北部)に一泊した後、翌日17日にこの場所の砲台を巡検しました。

この岩は、巡検のとき休憩で使用した手水鉢です。

この砲台を巡検した後、島津斉彬は南へ向かい、伊座敷・大泊へ向かいました。

 

いざ砲台跡へ

島津斉彬公使用の手水鉢を後にして、砲台跡へ向かいます。

この道を散歩していると、海風がとても心地よいです。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

砲台に向かう途中の美しい錦江湾の様子です。

ここをイギリス艦隊が鹿児島市を目指して北上していったんですね。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

ついに台場に到着しました!

大砲のレプリカが2基置かれています。

台場公園・薩英戦争砲台跡

 

砲台の石垣は当時のままです。大きさを知っていただくために私(168cm)が石垣の横に立ってみました。

台場公園・薩英戦争砲台跡

この砲台が造られるきっかけとなった薩英戦争とは、どのようなものだったのでしょうか?

 

薩英戦争を分かりやすく解説

生麦事件

1862年(文久2年)8月21日、島津斉彬の異母弟である島津久光は江戸から薩摩藩に帰る途中、武蔵生麦村(現在の横浜市)に差しかかりました。

そこで、大名行列を乱した英国人リチャードソンを薩摩藩士が斬り殺し、他に2人を負傷させるという事件が起きました。

生麦事件(出典wikipedia)

 

薩英戦争の発生!

イギリス側は薩摩藩に対して賠償金を求めましたが、薩摩藩は拒否しました。

生麦事件の翌年の1863年、イギリス艦隊が錦江湾に侵入し、薩英戦争が始まりました。

薩英戦争の写真

薩摩藩は鹿児島湾の沿岸に配置していた砲台でイギリス艦隊を迎撃しました。

イギリス艦隊はアームストロング砲という当時最新の大砲を使用していましたが、大砲に欠陥があり、天候も悪かったため、苦戦を強いられます。

薩摩藩の砲台の大砲は旧式でしたがよく戦い、イギリス艦隊の司令官を戦死させるという成果を挙げます。

しかし、砲台はことごとく破壊され、鹿児島城下は10分の1も焼けてしまいました。

 

薩英戦争の影響・海外の反応

結局、どちらが勝ったのかはっきりしないままイギリス艦隊は横浜港に引き上げます。

「日本の文明は未発達」と考えていた海外の衝撃は大きく、日本は一目置かれるようになりました。

薩摩藩はイギリス艦隊と戦ったことで、西洋の発達した軍事力を痛感しました。

 

薩英戦争後、薩摩半はイギリスに近づき、イギリスに五代友厚や留学生を派遣して、欧米の技術の吸収に努めました。

この薩摩藩の得た欧米の技術は、明治以降の日本の近代化に大いに貢献することになりました。

 

薩英戦争のもたらした「ミカン」と「黒豚」

余談ですが、薩英戦争後、薩摩藩は幕府からお金を借りてイギリスに賠償金を支払いました。

薩摩藩はイギリスに友好の証(あかし)として、ミカンの苗を送りました。

このことから、イギリスではミカンのことを今でも「サツマ(SATSUMA)」と呼びます。

また、イギリスから薩摩藩へお返しに豚が送られました。

この豚に品種改良を重ねたものが、鹿児島の名産品「黒豚」になっています。

 

砲台跡の写真

ここの砲台は、薩英戦争で発射する機会はなかったものの、鹿児島湾沿岸に作られた数十の砲台のうち、唯一原型をはっきりと留めています。

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台場公園・薩英戦争砲台跡

台場公園・薩英戦争砲台跡

台場公園・薩英戦争砲台跡

台場公園・薩英戦争砲台跡

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薩英戦争砲台跡

鹿児島市内には実際にイギリス艦隊と激しい戦いを行った砲台跡が残っています。

 

台場公園・薩英戦争砲台跡

砲台跡では桜が美しく咲いていました。

 

台場公園・薩英戦争砲台跡の観光情報

アクセス

垂水港から南下し車で約1時間。

住所

鹿児島県肝属郡南大隅町根占辺田 薩英戦争砲台跡

地図

きれいに形が残っています。

 

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