1877年に西南戦争が発生する直前、西郷隆盛は南大隅町根占に宿泊し、狩りを楽しんでいました。
今回は西郷隆盛が宿泊していた民家をご紹介します。
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西郷隆盛逗留宿所へのアクセス
垂水港から南へ約1時間ほど車を走らせると、雄川という大きな川に差し掛かります。
ここの交差点を右折し、さらし最初の角を右折すると、西郷隆盛逗留宿所に到着します。
西郷隆盛逗留宿所は住宅地の中にあります。
路地が狭い場所もあるので、車を傷つけないよう運転にご注意ください。
西郷隆盛逗留宿所
1873年(明治6年)征韓論争に敗れた西郷隆盛は鹿児島に帰ってきました。
私学校を設立し、若者たちの指導をする傍ら、ときどき鰻温泉(指宿市)、吹上温泉(日置市)、日当山温泉(霧島市)などに出かけて保養し、狩猟を楽しんでいました。
西郷隆盛は1875年(明治8年)から3回根占に来ています。
3回ともこの「平瀬家」に宿泊しました。
根占では、狩猟に出かけたり、詩を読んだり、書を書いたりして過ごしました。
天井には、西郷隆盛の猟銃が暴発したときの弾痕が残っています。ケガしなかったのでしょうか?
1877年(明治10年) 1月29日、この宿から狩りに出かけていた西郷隆盛は、私学校生が鹿児島市の弾薬庫を襲撃したという知らせを受けました。
西郷隆盛は「ちょ、しもた!」(しまった!)と深くため息をつき、鹿児島市に向かったと伝えられます。
宿所の内部は個人所有のため入ることはできませんが、予め南大隅町教育委員会(0994-24-3164)に電話すれば見学させてもらえるようです。
ただし、対応できない場合もあるということなのでご注意を。
現在、宿所はガラス窓と瓦屋根になっていますが、そのほかの部分は当時のままです。
庭には西郷隆盛が使用した石風呂と手水鉢が残っています。
西郷隆盛宿所の碑
1916年(大正5年)に根占出身の磯長得三によって建てられました。
なお、薩摩藩がイギリスに派遣した留学生の長澤鼎は、磯長家の出身です。
南洲翁浴槽
成人男性が体育座りをしてやっとで入れるくらいの小さな石風呂です。とても足を伸ばすゆとりは無いです。
西郷隆盛は身長180センチ、体重110キロでしたから、このお風呂に入るのは少しきつかったかもしれません。
霧島市国分にある日当山西郷どん村でも、同じくらいの大きさの石風呂が展示されています。
手水鉢
南洲翁(西郷隆盛)が使用していた手水鉢が、石風呂のすぐ隣にありました。
西郷南洲翁宿所の観光情報
アクセス
垂水港から車で約1時間。雄川手前(ローソン前)の交差点を右折。
住所
鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北38
地図
西郷隆盛が宿泊していた場所
近くのランチスポット
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人気の海鮮丼は予約必至です!
葉っぱデリ
森の中の隠れ家的カフェです。
近くの観光スポット
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世にも珍しい双子の鳥居がある神社。
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