鶴丸城(鹿児島城)跡~薩摩藩主・島津氏の居城~鹿児島市

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この記事は鹿児島地元人のララが書いています。

鹿児島城(通称:鶴丸城)は薩摩を治める島津氏の居城として江戸時代まで使われていました。

現在は元・本丸に黎明館という博物館があります。薩英戦争(1863年)と西南戦争(1877年)の砲弾跡や銃弾跡が石垣に残っています。

四月には桜がとてもきれいなお花見スポットです。  

 

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鶴丸城の様子

今ではお堀と石垣が残っています。

鶴丸城

7月の暑い日でした。お堀には、蓮(ハス)の花が見事に咲いていました。(国道10号線側の様子)

鶴丸城

 

お堀のハスの花をアップで撮影してみました。とってもかわいらしいです。^^

鶴丸城

本丸(石垣の向こう)は、黎明館博物館になっています。中には天璋院篤姫像もあります!

毎年春になると、満開の桜が美しいです。鶴丸城跡のとなりにある県立図書館と併せて、桜の写真を撮影してきました。

 

鶴丸城の鬼門

こちらは城山へ上る坂からから撮影した様子です。

写真右奥にはバス停と史跡「薩摩義士碑」があります。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

ここの石垣の角が欠けているのが分かりますか?

ちょうどこの位置は、鶴丸城から見て災いを呼び込む「鬼門」の位置に当たります。

鬼の角をわざと欠けさせることによって、災いを少なくするために、石垣をわざと欠けさせているのだそうです。

昔の土壁の城で、このように鬼門の壁を欠けさせる城は多いのですが、石垣で欠けさせているのは全国でも珍しいようです!

 

御楼門

1873年(明治6年)の火災で焼けてしまった御楼門(ごろうもん)の復元工事が進んでいます。

下の写真は2016年11月12日現在の様子です。

御楼門

2018年1月20日の様子です。

御楼門は高さが20メートルもあるそうです!復元完成の様子が楽しみですね。

今のところ復元のために必要な予算はあるのですが、御楼門を支える柱には樹齢300年以上の木が4本必要で、あと1本足りないそうです。

御楼門付近の石垣には、薩英戦争(1863年)と西南戦争(1877年)の弾痕が生々しく残っています!

なんと、それぞれの穴の金属探知機を当てると、銃弾の一部が穴に残っているため反応があるそうです!

なお、御楼門復元後は、この銃弾跡は無くなるそうです。御楼門は2020年3月に完成予定です!

 

鶴丸城の動画

冬(2月ごろ)の様子です。

7月ごろは蓮の花がとてもきれいです。

 

鶴丸城の歴史

鶴丸城は薩摩藩の政治の中心があった場所です。

1601年の関ヶ原の戦いで、薩摩藩の島津氏は西軍でしたが、東軍の勝利に終わり、急いで薩摩に逃げ帰りました。

いつ徳川家康が責めてくるか分かりません。

鶴丸城は徳川家康を迎え撃つために、1604年に急ごしらえで築城されました。

 

急いで作ったためにお金がなく、幕府に反抗の意志がないと示す狙いもあり、質素なお城になりました。天守閣はありません。

攻められた場合は、後ろにそびえる城山を「後詰めの城」として立て篭もることになっていました。

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鶴丸城の立地

城山は火山灰が降り積もってできた地層(シラス)で出来ていました。

このシラスは雨水を含みやすいという特徴があるため、麓の鶴丸城に常に湧き水を供給していました。

常に水の供給があるという点で、鶴丸応の立地はとても便利だったのです。

なお、鶴丸城は城山の麓に「鶴が羽を広げているように」広がっていたことから、その名前が付けられています。

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鶴丸城の観光情報

アクセス

  • バス…鹿児島中央駅からカゴシマシティビューに乗り、「薩摩義士碑前」で下車(約15分)。
  • 市電…天文館電停を下車し、徒歩で約15分。

入場料

無料

地図

〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7

 

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NOEL(ノエル)

 

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